人間は無意識に安全なものと危険なものを区別しています。その例として「燃えるものと燃えないもの」の区別と、それを間違ったために起こった悲惨な事故を紹介します。
地表の大気の中の酸素の濃度は約二〇%です。つまり、空気の五分の四は窒素で、五分の一が酸素です。そして、人間や現在の主な生物は酸素を体に取り入れて活動のエネルギーを得ています。
その結果、人間にとっては空気中の「酸素」は有用なものですが、「窒素」は役に立たないもののように思います。
話は宇宙開発に飛びます。人間の乗る宇宙船は、いろいろな研究が進み、進歩してきました。その一つに宇宙飛行士が生活するキャビンの改良があります。
宇宙船は狭く、場所が限られていますので、すべてのものはできるだけ効率的に配置されています。それはキャビンの中の「空気」も同じです。人間は空気中の酸素しか利用しませんので、宇宙 船のキャビンの中の空気は酸素が多い方がよいと考えられました。宇宙飛行士は宇宙で酸素を使うけれども、窒素は使わない。宇宙船に詰め込めるものは決まっているのだから、宇宙船のキャビンでは窒素を使うのではなく、酸素を使ったらよい、ということで純酸素がキャビンに使われました。
もちろん純酸素が使われるのですから、量は少なくてよいし、宇宙飛行士も酸素呼吸をすることになるのですから、一石二鳥のように感じられました。ところが、純酸素を使ったところ、「普通では燃えないもの」が燃え上がり、キャビンが火災になってしまい宇宙飛行士は閉じこめられ死亡しました。
この事故が起こってわかったことは、「私たちがあるものを『燃える、燃えない』と区別しているのは、私たちの住む世界のこと、つまり約二一%の酸素の状態でのことで、酸素が一〇〇%なら『燃えないもの』も燃える」ということだったのです。科学技術の粋を集める宇宙船開発でも、人間が無意識のうちに区別していることがいかに生活の安全を保つ上で役に立っているかということを教えてくれます。
多くの物事がそうであるように、「神様の後知恵」で火災が起こり犠牲者が出れば、そこで何が悪かったのかがわかってきます。「燃える、燃えない」の区別は私たちが生活している条件のもとでの話で、どんな環境のもとでも成り立つ話ではないことに気がつくのです。
リサイクル品の毒物の問題でもう一つ危険なのは、このような「人間の生活の常識」による「無意識の選別」が行われないという問題です。
人間は無意識のうちに食事に使うものとそうでないもの、外に置いておくものと家の中のものなどを区別しています。たとえば、ものを燃やした後の灰を食べる人はいません。灰の中に具体的にどのような毒物が入っているかということとは関係なく、「何となくイヤ」という感覚で使わないのです。反対にお茶の葉で床を掃除する人はいます。お茶の葉は口に入れても大丈夫ですが、反対に床をなめることは普通にはあり得ないからです。ところが先ほどの例のように、リサイクル品の場合には、目の前にあるバケツが、かつて毒物の入った冷蔵庫からできたものと知ることはできません。この場合には無意識に「何となくイヤ」という直感を持つことができません。
考えたくもないことですが、リサイクルでは「電子機器に使ったヒ素」と、「便器に使用した銅」が混じって回収された製品から食べ物を煮る「リサイクル鍋」を作るようなことが起こり得ます。もちろん、リサイクル品を全くもとの原料まで戻して使用すれば天然からのものと同じになりますが、リサイクルではできるだけ「リユースする」という考え方から、すべてをもとの原料には戻しません。途中で引き返すので危ないのです。
最近の認識論では、人間が五感と頭脳で論理的に判断できる範囲が予想外に少ないことが指摘されています。人間の判断や行動のうち、頭脳で判断するのはおおよそ二割で、ほとんどは意識をしない判断ともいわれています。日本古来の武道、たとえば柳生流の剣道の奥義には、いかにして意識にない行動をコントロールして敵に勝つかが詳細に述べられています。
さらに人間の認識は自分の頭脳の判断、意識していないものの判断の他に、身の回りにあるものから自分に来る情報が重要な役割を果たしているとの指摘もあります。このような認識を「アフォーダンス」といいますが、リサイクルの現状を見ると、社会全体が傲慢になり、簡単な頭脳の判断を信用しているように思われます。
その中では人間が無意識に「区別」をしてきたこと、それすらが現代社会におけるリサイクルでは守りにくくなっているように感じます。つまり、総合的な意味での「人間の叡知」が発揮できない構造に変化しているわけです。そして、このようなことは人間の意識の盲点を突いていますし、「リサイクルは良いことだ」「堆肥は健康的だ」というような先入観がそれを支えているのです。リサイクルで徐々に私たちの安全性が脅かされていても、障害が発生しないと社会は気づかず、その中で誰も理解してくれず、苦しい声を上げている人が可哀相に思います。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
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