見たように支那事変は、日本が始めたものではありません。しかし、日本は支那事変を大戦争として継続したことも事実です。一九三七(昭和十二)年七月七日に慮溝橋で日本軍が攻撃され、戦闘は「上海事変」となり、同年の十二月には首都の南京を日本は攻略しました。日本が放火したのではないけれど、なぜ戦火は広がり続けたのでしょうか。戦火の拡大を謀る者のごとき立場に、日本が立ち続けたのはなぜでしょうか。なぜ戦争は広がり続けたのか・支那事変の放火犯は誰か・慮溝橋事件についてはすでに「慮溝橋事件の真相」として学問的にも確定していると私は解します。あの「東京裁判」においてすら「慮溝橋事件」の審理は途中で途絶させられているのです。慮溝橋事件を審理しようとしたら、裁判所は雲行きが怪しくなったので、途中で審理を打ち切ったのです。だから、
「東京裁判」において慮溝橋事件の犯人は存在しないのです。中国側判事の梅汝傲(共産党員)は、慮溝橋事件の背後の関係を知る人物として事件の審理の深まりを忌避したものでしょう。識者は「東京裁判」の記録をよく検証して、日本国民に真相を明らかにして欲しいと切望します。これは日本国民のためです。しかし、慮溝橋事件は支那事変の真因ではありません。慮溝橋事件は結果です。リンゴが落ちたから引力があるのではないように、慮溝橋事件は前章に書いた通り、コミンテルンの第六・七回大会の決定の結果です。
しかし、慮溝橋事件を奇貨として「事変」を拡大した日本側の「責任」については「東京裁判」批判の陰に紛れて肝心なことは明らかにされてはいません。言うまでもなく、「裁判」劇にいささかの正統性も私は認める者ではありません。「東京裁判」は戦争の仕掛人の認定を避けたけれど、コミンテルンの意を体してコミンテルン・中国共産党のなした戦争拡大の共犯者は確実に日本の中にいたのです。日本人の中にはこの戦争を奇貨として、まさに日本「革命」(当時は「革新」と称した)を企図した勢力がいたのです。この勢力日の特徴は慮溝橋事件を支那事変の発端と言い、西安事件には触れないことです。西安事件についての研究が日本でなぜ行われないのか。それは日本の言論世界の一大利権構造に関わることだからです。西安事件の解明こそが、大東亜戦争のみならず第二次大戦の本質 に関わる歴史の解明に欠かせぬ営為だと私は確信します。
この勢力は支那事変を太平洋戦争に繋ぎ、「大東亜戦争」の実現も遂行したけれど、目的の「日本革命・日本のソ連化」には失敗しました。日本がポツダム宜言を受け入れて降伏したのは、この勢力には誤算でした。ルーズベルト大統領の急死一九四五年四月十二日も慮外の誤算でした。後継のトルーマン大統領はヤルタ密約をはじめとする、ルーズベルト大統領の進めてきた戦争政策には、腰を抜かすほど驚きました。そして、トルーマンによってルーズベルトの戦略は大きく転換されたのです。
戦後の日本には、西安事件や慮溝橋事件の真相が明らかにされることを恐れる大きな勢力が存在しました。存在したという過去形ではなくて、存在するし、現に彼らは今日も日本の言論世界と思考制度を支配し続けているのです。戦後日本を支配している思考制度の例です。

・日本は中国を侵略した。
・あの侵略戦争は日本の軍閥と軍国主義のせいだ。
・日本人民は軍国主義の被害者だ。

こう語る人がいるなら、その人物は大きな勢力の一員であるか、彼らのなしている言論支配の被害者に違いないのです。借問したいものです。
慮溝橋事件の直後に、戦火の拡大を望んだ日本軍人の名を挙げてみてください。数人の軽薄な放言は別にして誰もいません。当時の日本軍部は、現地和平の方針でした。すぐに消火せよ、だったのです。
しかし、総理大臣・近衛文麿が消火を否定しました。これは何故なのでしょうか。ここに問題の核心があります。時の首相・近衛文麿のスタッフの中核はコミンテルンの同志でした。コミンテルン第六・七回大会の決議は、前章に書いた通りです。戦争を拡大させる中で革命を遂行せよでした。近衛内閣は戦火を消しませんでした。
当時の日本国民の多数は報道に興奮しつつも、心の中では終わりの見えない戦争に疑問を感じ厭戦的だったのは当然です。懐疑や厭戦は正面切って公言しなかっただけです。通州事件のような酸鼻を極める日本人へのテロに怒りを感じても、そして暴支膚懲は理解しても、自分たちが生命を捧げなければならないわけについて漠然とした、しかし確かな疑問を感じていたのです。
開戦三年後の一九四〇(昭和十五)年は皇紀二千六百年として日本国内は湧きましたが、増税に継ぐ増税・配給制度で国民生活は苦しくなっていました。支那事変は「聖戦」とされました。「聖戦」完遂が呼号され、聖なる戦争は「完遂」が目的だとされました。そして、米英を排した「東亜新秩序」のスローガンが日本国中に響きわたるようになったのです。
皇紀二千六百年の昂ぶりは醒めても、「聖戦」終結の気配を国民は感じることはありませんでした。忠良なる国民は黙々と戦い続けるだけでした。そして、もっと大きな戦争の足音が太平洋の彼方から聞こえてきたのでした。
これはいったい何だったのでしょうか。日本人は戦争を欲したのでしょうか。その通り、欲した日本人たちがいたのです。
世界大戦を企画したのは、ヒトラーや日本軍国主義という思考制度が採用されています。この「制度」の裏でするりと抜けるのが、スターリンやルーズベルトたちの責任です。戦争責任を敗者にすべて負わせるという思考制度を組み立てていますが、数千万人が死んだ世界大戦の道徳的な基礎は、そんな制度で支えることは不可能だと考えるのが普通ではないでしょうか。
スターリンやルーズベルトの戦争責任を言う人が、なぜ「いない」のか。それは現在の巨大な利権構造の基礎だからです。具体的に言います。

日本のマスコミ界・言論社会を支えている道徳的基礎は何でしょうか。それは自己の立場を戦争反対だった・そして今も平和主義とすることです。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)