大学の談話室でのことです。中国人の教授が私に話かけてきました。
「日本の裁判所は「南京大虐殺」を認めているのに、なぜ先生は否定するのか」と言うのです。彼は一九九九(平成十一)年九月二十二日の判決で東京地裁は「南京大虐殺」を認めていると言い張り、私に食らいつくわけです。少し解説が要るかもしれません。
これは「南京大虐殺」事件の被害者を名乗る十余名の中国人が、総額十億円余の損害賠償を求めて日本政府を被告として請求していた事件です。裁判所は「国際法上、個人が直接に外国に対して戦争被害の損害賠償を請求することはできない」と判示した、ごく常識的なものです。つまり、原告敗訴の判決でした。
しかし、判決の「主文」は原告敗訴を言い渡したのですが、裁判官は「傍論」として自分の意見を言いました。聞きましょう。

「『南京大虐殺』と言うべき事象があったこと自体はほぼ間違いないと言うべきであり、原告(人名)はその際に日本兵による刺傷を受けたものである」

つまり判決は原告の請求は斥けたけれど、「南京大虐殺」は事実として認めたわけなのです。
これは日本の民事訴訟の判決にいたるシステムを、巧妙に利用した奸謀と言わなければなりません。つまりは中国に味方する日本人が網を敷いているということです。
日本では、損害賠償などの民事訴訟の原則は「当事者主義」と言い、一方の当事者が反対側に反論しなければ原告が正しくなくても被告は敗けになるのです。例えば、まったく身に覚えのない借金であっても、返済を求める訴状が送達されれば裁判所に出頭しなければなりません。欠席すれば敗けです。争いの相手の言い分が出鱈目であっても、その旨を主張しなければ真実はどうあれ、相手の主張が事実と認定されるのです。さらに注意すべきなのが次の法理です。

民事裁判で国が一方の当事者である時は、国は政府が対外的に宣明した立場や方針に拘束されるということです。これを利用した日本を陥れている日本人の行動が目に余ります。傍論を利用した暴論の「判決」が横行しているのです。
奸謀というのは次を利用するからです。
政府が歴史的な出来事についてある見解を発表しているとしましょう。たとえ訴えが事実でなくても、裁判では国の代理人(弁護士など)は政府の見解と異なる見解を主張をすることはできないのです。主張を裏付ける証拠があっても、それを提出して反論することはできません。国の代理人とはそうしたものです。例をあげてみましょう。
一九九三年八月、当時の河野洋平官房長官(現衆議院議長)は、「従軍慰安婦」の「強制連行」を認めた談話を発表しました。いわゆる「河野談話」です。
このことによって提起された「従軍慰安婦訴訟」において、国側代理人は事実認定に関しては一切反論ができませんでした。このため山口地裁の法廷は「慰安婦」たちの一方的な怒号と「哀号!」との泣喚の場となるしかありませんでした。裁判官はひたすら拝聴するしかないのです。平成十年四月の山口地裁下関支部の判決は、このような場面を反映した判決でした。私はこの裁判を傍聴しながら、日本人による日本滅亡の計画の実在を実感したものです。日本人のとても大きな勢力の存在を肌で感じました。
元「慰安婦」なる彼女たちの旅費や滞在費用・弁護士費用などは誰が負担した(する)のでしょうか。少ない金額ではありません。
政治家が政治的配慮のつもりで歴史的事実を無視した談話などを発すると、それがいかに日本の国益を損なうかということについて、最低の自覚は確保しておかねばなりません。日本の政治家にこれが欠けた言動が多いのは、ずばり直言すれば、外国の「工作」の結果です。河野洋平議長たちは国賊と呼ばれて、身に刃物を入れなくてもすむ日本の平和に感 謝すべきです。靖国神社に静まりたまふ英霊たちのおかげと、私は信じます。

「まえがき」でも触れましたが、従軍慰安婦などという出鱈目な日本語について再度一言します。いったいに従軍従軍技師・従軍看護婦といえば軍属身分を示します。従軍記者・従軍カメラマン・は軍属身分です。国家公務員であり、当然に戦死があり、靖国神社に奉祀されます。私の老母(九十六歳)は南支那派遣軍広東第一陸軍病院の初代総婦長でしたが、従軍慰安婦なる言葉に呆れています。
もちろん慰安婦という人々はいました。軍との関係はと聞けば、性病の治療や予防に従事したと言います。しかし、軍が慰安婦を集めたり連れて行軍するかと笑います。当時、売春は公認されていたのであり、身を苦界に沈め親兄弟姉妹のために尽くした哀しくも立派な女性の話を老母はします。師団長(陸軍中将)より遥かに高給を稼ぐ女性も珍しくなかったと言います。そして稼いで兄弟を大学に進学させ、自分は有名な料亭の女将になった人の話をします。春を売り買いするのは今でも公然と行われています。日本だけでなく世界中で、です。
日本人は戦時のこの種の話題を、今の日本の問題として関心を向けるべきです。アイデンテイティ・ウォーのジパノフォビア作戦なのです。

さて先出の「南京大虐殺」の裁判の話です。
判決文を読んでも被告(日本政府)は、事実関係についてはまったく争っていないことがはっきりしています。裁判所の判決といえば、精密な証拠調べに立って事実判断がなされていると考えられがちですが、それは民事裁判への誤解です。訴訟提起が「損害賠償請求」だから事実判断は義務的ではないので、「国際条約上、個人が直接に外国政府に対し戦争被害の損害賠償を求める権利はない」として賠償請求を斥けたものです。原告敗訴の判決なのですが、判決文の中で「『南京大虐殺』いうべき事象があったことはほぼ間違いないところというべきであり、原告○○(人名)はその際に日本兵による刺傷を受けたものである」と言いました。
この文言をとらえて「朝日新聞」などは裁判所が「南京大虐殺」を認定したと報じましたが、これは性質の悪いデマ ゴギーと言うべきであり、理由は次の如しです。
民事訴訟の当事者主義では、原告が一方的に主張し被告(国)が反論しなければ一方的な主張がそのまま事実として仮定されるのであって、刑事裁判の事実認定であるかのような誤解を利用したものだからデマゴキーと言うのです。
ならば日本政府は断固として反論すればよいのですが、原告敗訴が見えていることもあってか、国は反論しなかったのです。これは日本国の性癖であり悪い性癖です。日本国は、このような事案では事実認識の公的主張を回避して反論しないのです。私はこれを性癖と呼んでいるのです。再度言いますが、悪い性癖です。
日本国政府は戦時の「悪事」については、国をあげて公的に反論しない時代が続きました。GHQの時代から始まります。日本国政府のこうした事案での政治的スタンスは「曖昧」なのです。この曖昧なスタンスを、日本国の裁判所が「南京大虐殺」を認定したと報道した『朝日新聞』などは性質が悪い、と言うしかありません。先出の中国人の教授もこの間の事情を熟知しています。知って、笑って、私に食らいつくのです。
しかし、もうこうしたGHQに遠慮した曖昧さは断つべきです。途方もない厄災が日本を襲いそうになりました。

第一章のはじめにも触れましたが、一九九九(平成十一)年、アメリカのカリフォルニア州議会は「南京大虐殺」について、日本政府は謝罪と損害賠償を被害者にすべきだと決議しました。カリフォルニア州地裁も同様の判決を下しました。これらをバックに、市民運動家や中国人たちが十二月に大挙して来日しました。彼らの主張の根拠があの東京地裁判決であり、そして村山談話であり河野談話でした。一九九〇年代の後半に入り、アメリカでは日本企業を標的にして百兆円に及ぶ請求訴訟が提起されていました。被告の日本企業は二十八社、原告は大戦中の元米国兵捕虜、在米国中国人、韓国人たちでした。
二〇〇三(平成十五)年一月、米国連邦高裁はサンフランシスコ講和条約によって賠償問題は解決済みであるとして州地裁判決を破棄すると判決しました。実に危ういところだったのです。
アメリカには州法と連邦法の問題があり、日本と同じ法制度ではありません。地裁判決と州議会議決の時には、どうせ上級審では逆転されるとの楽観論が支配的でしたが、事実審の法廷は酷いものでした。
損害の原因を「戦争被害」でないようにして訴え方を工夫されたら、展開いかんによっては結論がどうなるかは分からなかったものです。二十八社の負担した弁護士費用の合計は四十億円を超えたと聞きます。私は末端を支えたにすぎませんが、歴史認識がいかに国家の命運と関わるかについて身が震えました。原告たちは連邦最高裁に上告しましたが棄却が確定されました(二〇〇六・平成十八年七月)。日本を代表する企業群は、実に存亡の危機に立たされていたわけです。
アメリカの九十万人の弁護士たちは苛烈な競争社会に生きています。三万人弱の日本の弁護士社会と同じに考えてはなりません。そして、日本の政治家は深い歴史認識に立脚した確かな国家観に立たねばなりません。
村山富市元首相、土井たか子元衆議院議長、河野洋平現議長、近隣条項の宮沢喜一元首相、加藤紘一官房長官(当時)そして傍論の形で未熟な歴史認識の暴論を判示する裁判官諸氏の猛省を求めたいと思います。
日本には法科大学院が設けられ、弁護士などの大最生産が企図されています。二年後には大量の弁護士が生産されるわけです。誰が企画したものなのか私は疑問でなりません。
日本ではアメリカとは逆に、刑事裁判から始まるという陪審員制度と共に弁護士大量生産制度の意図に、私は深い疑念を抱いています。

日本ほど反日本の劣情日本人を許している国はないと、私は考えます。外国人の友人も同意します。「聖戦完遂」「一億玉砕」の掛け声のもとで日本人は黙々と戦いました。日本国家の指導者を信じたからです。その反動なのでしょうか。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)