近江に高田善右衛門という商人がありました。十七歳の時、自分で働いて家を興そうと思い立ちました。父からわずかの金をもらい、それを元手にして、灯芯と傘を買い入れ、遠いところまで商売にでかけました。
道には険しい山坂が多かったので、善右衛門はかさばった荷物を担いで登るのに、大そう難儀をしましたが、片荷ずつ運び上げて、ようよう山を越えたこともありました。また時々はさびしい野原をも通って、村々を廻って歩き、雨が降っても、風が吹いても、休まずに働いたので、わずかの元手で、多くの利益を得ました。
その後呉服類を仕入れて方々に売りに歩きました。いつも正直で、倹約で、商売に勉強しましたから、だんだんと立派な商人になりました。
善右衛門は人に頼らず、一筋の天秤棒を肩にして商売に励みました。
ある時、善右衛門は商売の荷物を持たないで、いつも の宿屋に泊まりました。知り合いの女中が出て来て「今日はお連れはございませんか。」といいました。善右衛門は不思議に思って、「始終一人で来るのに、お連れとは誰のことですか。」と尋ねましたら、女中が「それは天秤棒のことでございます。」といいました。
善右衛門は常に自分の子どもに教えて、「自分は初めから人に頼らず、自分の力で家を興そうと心がけて、精出して働き、またその間倹約を守り、正直にして無理な利益をむさぽらなかったので、今のような身の上となったのである。」といって聞かせました。(四年生)
※高田善右衛門…寛政五(一七九三)年~明治元(一八六八)年。後に呉服などにも進出した近江商人
※灯芯…あんどん、ランプなどの芯
『国民の修身』監修 渡辺昇一