瀧子は吉田松陰の母であります。松陰の父杉百合之助は松陰が少年の頃までは、家祿ばかりでは、くらしを立てることが出来ませんてした。そこで、瀧子はよく夫を助けて、野に出て田畑を耕したり、山に行って薪をとったりして、仕事に骨折りました。又よく姑に事へ、子供の養育につとめ、裁縫・洗濯のことから家事一切をひとりで
引受けて、かひがひしく立働き、馬を飼ふ世話まで自分でしました。
瀧子は姑を大事にしました。三度の食事には暖いものをすすめ衣服は柔いものを着せなどしていたはり、裁縫する時は、喜ばれるやうな話をして聞かせて、慰めました。又姑の妹がこの家に世話になってゐたが、或時、重い病氣にかかりました。瀧子は久しい間、夜もろく/\寝ずに心から介抱したので、姑は、「忙しくて暇のないのに、親類の世話まで親切にしてくれて誠に有難。」と言って涙を流して喜びました。

後、百合之助は藩の役人に取立てられて、城内にうつりましたが、瀧子は家に留って、よく家政をととのへ、松陰等の養育につとめました。かやうに瀧子は夫を助けて勤檢力行したので、家も次第に豊になり、又数育の仕方がよかったため、子供は皆心掛のよい人になりました。
中にも松陰は國の爲に盡し、たび/\難儀に出會つたが、いつも瀧子は我が子を励まして尊王愛國の道に盡させました。松陰が松下村塾を開いてゐた間も、瀧子はよく弟子たらをいたはり、又松陰をたづねて來る同志の人々を親切にもてなしました。
『国民の修身』監修 渡辺昇一