我等は何かよい事をすると、人にほめられないでも自分で心嬉しく感じ、また何か悪い事をすると、人に知れないでも自分て氣がとがめます。これは誰にも艮心があるからです。この良心は、幼少の時にはまだ餘り發逹してゐなゐのですが、親や先生の教を受けて次第に發逹し善い事と悪い事との見わけがはつきりつくやうになります。さうなると、人の指圖を受けないでも、善い事はせずには居られないやうに感じ、悪い事はすることが出来ないやうに感じます。
我等は自分の良心の指圖に従はねばなりません。人が見てゐないからといつて、自分の良心の許さないことをしては、自分で自分の心を醜くすることになります。我等はよく自分をつつしんで、天地に恥ぢないりつばな人にならればなりません。明治天皇の御製に
日に見えぬ神にむかひてはぢざるは
人の心のまことなりけり
とあります。
今から百三四十年前、仙臺に林子平といふ人がありました。非常に愛國心の深い人で、一般にはまだ外國の事情がわからなかった當時、早くも世界の大勢を知って國防 の大切なことを説きました。幕府は子平を、根もない事を説いて世人を迷はす者として、その兄の家に幽閉しました。子平はそれから後、毎日一室の中に居つて一歩も家から出ないので、友逹は子平が病氣になりはしないかと心配して、「誰も見てゐるわけではなし氣睛しに少しぐらゐ出て歩いたらどうか」と言ってすすめました。子平は、そんなかげひなたのある行をすることは、どうしても自分の良心が許さないので、「御親切は有難いが、それでは上を欺くことになる。たとひ見てゐる人がなくても、そん
なことは出来ない」と答へました。
『国民の修身』監修 渡辺昇一