明治三十七八年戰役は、我が大日本帝國が國家の安全と東洋の平和のためにロシャと戰つて國威を世界にかゞやかした大戰争であります。明治三十七年二月十日に宜戰の詔が下ると、國民は皆一すぢに大御心を奉體して、國の為に盡さうどかたく決心しました。
出征軍人の元氣は盛なもので、忠勇の美談はあげつくされない程ありました。病をおし、傷をかくして召集に應じた在郷軍人もあり、三人の兄が皆戰死して残った末の弟が志願兵になった家もありました。戰地では雨霰と飛来る弾丸の中で、落らつきはらつて自分の務を盛す者もあれば、敵弾のために負傷しても、内地へ送りかへされるこどを拒んで、「ぜひ今一度戰線に立たせて下さい」と願ふ者もありました。
戰場に出ない國民も皆一致して、忠君愛國の誠を盛しました。働きざかりの牡丁が出征した後は、老人も婦人も少年も皆大決心で、家業につとめ、檢約を守つたので、全國の貯金の高は却つて戰前よりも増しました。戰費のために租税は平時よりも大そう多くなったが國民は喜んで負櫓して納税を怠る者などはありませんでした。軍人が出征する時には、各地の人々はまごころをこめて送り迎へをしました。戰地へは慰問袋や手紙を送り、軍人の家族・遺族にはいろいろと行き届いた世話をしました。出征者の妻は心を引きしめて、家事をととのへ、子供を育てて、戰地の夫に心配をかけないやうにしました。又身分の高い婦人は自分で糊帯を造って、負傷者に送り、或は進んで篤志看護婦となつて、親切に傷病者の世話をしました。

明治天皇御製
國を思ふ道に二つはなかりけり
     軍のにはに立つも立たぬも

【現代語訳】
第八課 挙国一致
明治三十七、八年戦役は、我が大日本帝国が国家の安全と東洋の平和のためにロシアと戦って、国威を世界に輝かした大戦争であります。明治三十七年二月十日に宣戦の詔が下ると、国民は皆ひとすじに大御心を奉体して、国のために尽くそうと固く決心しました。
出征軍人の元気は盛んなもので、忠勇の美談は挙げ尽くされないほどありました。病をおし、傷をかくして召集に応じた在郷軍人もあり、三人の兄が皆戦死して残った末の弟が志願兵になった家もありました。戦地では雨霰と飛びくる弾丸の中で、落ちつきはらって自分の務めを尽くす者もあれば、敵弾のために負傷しても、内地へ送りかえされることを拒んで、「ぜひ今一度戦線に立たせて下さい。」と願う者もありました。
戦場に出ない国民も皆一致して、忠君愛国の誠を尽くしました。働きざかりの壮丁が出征した後は、老人も婦人も少年も皆大決心で、家業に努め、倹約を守ったので、全国の貯金の高はかえって戦前よりも増しました。戦費のために租税は平時よりも大そう多くなったが、国民は喜んで負担して納税を怠る者などはありませんでした。軍人が出征する時には、各地の人々は真心をこめて送り迎えをしました。戦地へは慰問袋や手紙を送り、軍人の家族・遺族にはいろいろと行き届いた世話をしました。出征者の妻は心を引きしめて、家事を整え、子どもを育てて、戦地の夫に心配をかけないようにしました。また身分の高い婦人は自分で包帯をつくって、負傷者に送り、あるいは進んで篤志看護婦となって、親切に侮病者の世話をしました。

明治天皇御製
国を思う道に二つはなかりけり
     軍のにわに立つも立たぬも

※壮丁…成人に達した男子
※篤志看護婦…自ら志願して戦地へ赴き、負偏者の手当てに従事した女性のこと
(五年生)
『国民の修身』監修 渡辺昇一