話がつい横道にそれましたが、「心経」の空という一字の裡には、実に千万無量のふかい意味が、ふくまれているのです。有名なアインシュクインも空一元論を唱えています。たしか宗教哲学者オットーも、宗教の極致は空だと説いています。
剣聖宮本武蔵も「空の一字を知れ」といって、門人を誡めておりますが、空という一字のなかには、いろんな複雑な、そして深遠な、哲学も宗教も、ことごとく織りこまれているのです。しかもその「空」は仏教のエキスです。したがって空という文字を説明するとなると、なかなか容易なことではありません。
しかもその甚深なる空を、観自在菩薩は、親しく体験せられたのです。そして人生のあらゆる苦悩を克服することによって、苦悩のない浄土を、この世に、この地上に建設されたのです。したがって、私どもも人生の苦悩を越えて、浄土に生まれんとするならば、どうしても、観音さまのように、空を知らねばなりません。如実に、空のもつ深い意味を認識しなければなりません。空を掴むことこそまさしく人生の勝利者です。けだし、空をほんとうに知るもの、真に「空に徹するもの」こそ、それはと聞いてみたことがあります。ところが、博士のいわく、「数学では、一とはすでにわかったもの、として計算してゆくのだ」と答えましたが、しかし、たとい一とはわかったもの、として計算していっても、やはり一とは何か、ということを、説明してほしいのです。いちばん安心してよい数学が、こんな調子であります。いわんや、他の科学においてをや、ナンテ申しますと、天下の科学者から、エライお小言を頂戴ずることになるかも知れませんが、とにかくわかったもの「自明の理」と思っていることでも、いざ説明、となると容易に説明し得ないのであります。
公開せる秘密
さすがに詩人ゲーテです。一プラス一、それは「公開せる秘密」だといっているのです。私どもは、ただそれを神秘的直観、宗教的直観によってのみ、知ることができるといっているのですが、公開せる秘密は、まことにうまいことをいったものです。宗教的直観によるのだという語は、ほんとうに味のある、意味ふかい言葉だと在じます。いったい、私どもお互い人間のもつ、言葉や思想というものは、完全のようで実は不完全なものです。思うこと、いいたいこと、それはなかなか思うように話すことができないものです。最も悲しい世界、最も嬉しい境地というものは、とうていありのままに、筆や口に、表現できるものではありません。イヤ、筆にはまだ、どうとも書けましょうが、言葉では、とても思いのままを、率直に、他人につたえることはできないのです。
高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)