四柱推命の古書中に「僧道」という表現が見られるが、これは宗教家のことをいっているのではなく、世捨て人のような意味で使われている。日干が強過ぎ、財がまったく機能していないような四柱八字と大運である場合を指していると考えられる。 また、強い日干が大運・流年で弱められる場合、また逆に、弱い日干が大運・流年で強められる場合、前者では比劫が、後者では財が、その良好な事象を発生することになる。つまり、大運が良好であるなら、すべての通変が良好な作用を発揮することになるのである。 このように良好な大運に巡る場合は、財自体には外部環境を察知する働きがあるので、日干と財のバランスが取れ、気配りがきき、明朗快活でユーモアがあって、行動力があって積極的で、人の気持ちをよく察し、結果として人から好かれ、友人も多いという事象が現われることになる。 しかし、日干が弱いのにさらに日干を弱める大運・流年に巡るなら、日干が弱く、財が強過ぎることが原因となって、さまざまな望ましくない事象が発生することになる。 財が比劫より、より強くなるにしたがって、その人が、世の中とか周りの人に抱く期待感が現実をわきまえていないものとなってしまい、そのことが原因で、思い通りに事が運ばないことになり、もともと実現不能なことを期待しているため、そうした状況が続くと、何事もうまくいかないと感じることになって、性格的に陰湿になったり、素直でなくなったりすることにもなる。また、必要以上に人の顔色をうかがうようになったり、外見的には笑顔を絶やさず、人の話に耳を傾けているように見えても、口で言うことと内心が裏腹というような性格面を形成することにもなる。 さらに財が強くなり、日干が耐えられないほどになるなら、現実社会が自身からかけ離れた存在のように感じるようなことになり、部屋にこもりがちとなったり、うつ病的症状を呈したりすることになるのである。 以上、日干と財の力量の関係を例として、その段階的な事象の現われ方を説明したが、他の通変においても、それぞれの通変の基本的な作用をもとにして、日干の強弱の程度により引き起こされる段階的な事象の違いを推察しなければならないことになる。 「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より https://meiwajuku.com/nsityu4/ http://www.shihei.com/shihei/calc/
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