官殺は日干を剋す五行なので、官殺による事象の共通性は、内向きに働く事象に関わることになる。
官殺は、古来より社会的地位とか名誉に結びつけて論議されてきたが、地位とか名誉は官殺の事象の―つでしかなく、基本的な作用ではない。四柱推命の古書中に、一点官殺があれば、その人は貴命である、つまり、将来出世することが約束されているとか、尊いお方であるとか、まったく無茶な論議がされてきた。
さて、官殺の基本的な作用は、「外部環境よりの影響またその変化に応じて、自身をそれに合わせコントロールする能力」と言える。外部環境とは、ほとんど の場合、その人を取り巻く人である。
例えば、出世して部下が増えれば責任が重くなる。そうした社会的責任、外的圧力に対するその人の対応能力を官殺によって知ることができるのである。官殺が良好な作用を発揮すれば、責任をまっとうし、さらに高い地位に昇進しても十分に耐えられるという人の評価を得ることになるのである。
あるいはまた、社会的に評価の高い賞を受賞したり、社会的に大きな貢献をしたりして、人から尊敬の念をもって見られるような立場になった時、「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」といった対応をする人、逆にのぽせ上がってしまう人、とさまざまであるが、この対応の違いも官殺の作用の良否によって左右されるのである。
性格面では、日干を制する、抑える、という官殺の作用から、控えめである、出しゃばらない、自己をコントロールする能力があると、いったことに関わることになる。
またこの官殺による内向きの圧力は、自分の意思に反した不快感を伴う外部からの事象となることもある。あまりにも控えめで、自己主張がとぼしいなら、人の言いなりになってしまい、学校内のいじめ、嫌がらせを受ける原因となることもある。また、子が親から受ける度を過ぎた期待、会社なら上司からの理不尽な期待とか要求、あるいは対立関係にある人物からの中傷、ストーカーまがいの嫌がらせ、にも関わる。こういう類の事象に悩まされるのは、官殺が不良な作用を発している場合である。ただ、そうした状況に身を置くことになるのは、その人自身の行動・言動が原因になっていると考える必要がある。
男性の場合、官殺には六親として子女が配当されている。子どもを持つことは、男性にとって大きな責任を生じることなので官殺に子女が配されているのであろうが、 四柱八字中に官殺がないからといって、その男性は子どもに恵まれないとは言えないし、官殺が多くあれば子どもが多いなどとも言えない。子どもの数は、社会的環境以外に生殖能力も関わってくるので、官殺のみで子どものことを、またその数を論じることには根本的な無理な点がある。
つまり、官殺に子女を配当するのは適切ではないのである。
また、女性の場合は、官殺には夫・配偶者が配されている。これは、結婚後、育児その他の理由で家庭に拘束されるという女性の社会におけるあり方が反映しているのであろう。
現在日本において女性の社会的進出が目覚ましいとは言っても、結婚後、子どもができたなら、家庭を守り、育児その他の責任を果たすことが役割となることがいまだ多いので、そういう作用的な意味においては正当性があると言える。あるいはまた、男は剋す側となり、女は剋される側になるという形で、男女の性行動の違いを反映しているとも考えられる。しかし、この通変の配当も実証的には不適切である。官殺は夫ではない。男性と同様に、女性も日の蔵干によって配偶者を論じるべきなのである。
つまり、既存の四柱推命では、男性は財、女性は官殺を配偶者や婚期を見る視点としていたのであるが、財と官殺によって論じることができるのは、結婚・恋愛における行動を支える、その人の性格のあり方でしかないのである。古来よりの見方は全面的に誤りとは言えないのであるが、正しくない面を含んでいたのである。配偶者や婚期の見方は、男女の違いはなく、共通となるのである。その方法については、「具体的事象の推し方」のところで解説することにする。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より