干は10で一巡し、支は12で一巡する。この周期の違う干と支を、陽は陽同士、陰は陰同士で組み合わせ、10と12の最小公倍数となる60の干と支の組み合わせが創られた。これを六十干支という。
干は天の気であり、支は地の気であり、支中の蔵干は人に対応していると考えられ、これを天地人三才という。たびたび触れている殷墟の甲骨文中に六十干支が見られることから、その起源は3600年以上昔に遡ることになる。
「三命通會」の「論人元司事」には、干支の成立の過程について、次のように言われている。
《人は天地の中に位置し、陰陽中和の気をうける。ゆえに軽く清いものは十干となり、これを天元という。重く濁ったものは十二支となり、これを地元という。
天地それぞれその位を得、二者の間で才を成す。すなわち、いわゆる人である。ゆえに支中に所蔵するものは命をつかさどり、これを人元という。》
「二者の間で才を成す」とは、天元と地元の間にあって、人としての素質、能力を形成する、という意味である。右文中にもあるが、干は、天元、天干と言い、支は、地元、あるいは地支と言い、支中の蔵干は、人元と言うことを覚えておいていただきたい。
しかし、陰陽五行論の黎明期の蓄は散逸して失われてしまっているため、古代中国人が、天地人という世界観を元にして十干と十二支を組み合わせたとしても、その根底にどのような意味を込めていたかはまったく不明である。自然界には、10と12という異なる周期があるとして、その組み合わせに何らかの意味合いを見出していたのではないかと推測されるのみである。次に六十干支を一覧にして掲げておくことにする。六十干支を列記する場合、どの干支から始めてもかまわないのではあるが、殷墟の甲骨文字にならって、甲木が十干の始まりであり、子が十二支の始まりとし、甲と子の組み合わせから始めるのが慣例となっている。本書もそれに従うことにする。
60干支図.jpg
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より