易は実用的に使ってこそ意義がある

キリスト教も中世においては、解釈のし過ぎで本来とは異なったものに変形し、宗教改革を必要としたし、仏教も釈尊の単純素朴な中に深い哲理をしのばせた初期の教えは、弟子たちによってインテリ階級の解釈学に堕した歴史を持っています。

易も似たような情況にあるといえるかも知れません。マーフィー博士はその易をできるだけ簡素化し、エキスだけを多くの人に広めようとしました。博士が東洋のこの難解な書の研究に取り組んだのは、易が潜在意識理論と合致し、人生指南の書として、またとないテキストだったからです。

おかげでわたしたちは、苦労をせずに易という膨大な思想体系に足を踏み入れることできるわけです。『易経』は仏教経典、キリスト教の聖書に匹敵する偉大な書物です

その深奥を知るためには、人生を賭けるくらいの熱意が必要です。それでも真の理解はできないかも知れない。それくらい奥深いものです。

しかし同時に、偉大な書がいずれもそうであるように、そこには誰もが人生の指針得られる大衆性、実用性というものも備わっています。この本はそれを一人でも多くの人々に理解してもらうために書かれたものです。いわばマーフィー博士の大いなる遣産、われわれに残された博士のメッセージということができます。

易を深く知りたい人はこの本を入門書として、本格的な書物を勉強されるとよい。

そうでなく自分のかかえる問題、悩みの指針を得たい方は本書を活用して、自分でそれを見つけ出されるとよい。本書はどちらもできるように意図して編まれたものなのです。

 

「マーフィの易占い」J.マーフィ(昭和61年、産能大学出版部)