キーワード:対立
睽。小事吉。
(けいはしょうじはきち。)
火沢睽(かたくけい)不和反目の多い時
「睽」は相背くこと。「火沢睽の時は、小さいことを行なうのには吉」。この卦は、離の中女(火)兌の少女(沢)が女同士で反目している姿で す。したがって「火沢睽の時は、統一がなされずに、内輪もめありとみなします。たとえば、家庭の中では嫁と姑の争い、会社の中では派閥争いの絶えない時で す。そのため、万事に行き違いが多く、スムーズに事が運びません。こういう時は、大きな事は行なわずに内部に目を向け、反目が小さなうちに対処し、調和を図るための和解策を練ることです。
〔大意〕睽(けい)は「そむく」「行き違い」といった意味があり、この卦は対立を示します。火と水が相入れないように、物事はことごとく食い違う。人間関係では苦労が多いときです。
しかし『易経』には「睽は、小事に吉なり」とあり、決して悪いとばかりはいえない。
たしかにもめごとはあるかも知れないが、それをうまく処理していけば、結果的には以前にもまして良くなる卦です。
もっとも下手な対応はこの卦を見て「ゴタゴタがおきる」「意見が食い違う」と悪い想像をすることです。ゴタゴタや意見の食い違いはあっても、それが「雨降って地固まる」になるかも知れない。
そういう肯定的な思考にもっていくことが大切です。
卦を額面通り解釈する必要性はまったくないのです。それは聖書に書かれた言葉同様、比喩が多く、またシンボルとしての言葉がひんばんに使われているので、これを額面通り受けとると、かえって真意を損なう結果になるのです。
この卦はキーワードが対立である。それは良いとはいえない。誰も調和は望むが、対立を望みはしないからです。しかし現実には対立はいくらでもある。それをうまく対処する方法論を考える機会に恵まれたと思えば、この卦に限らず他の卦でも、いつも 自分に有利に展開することができる。悪い卦が出て「だめだ」とあきらめてしまうようでは、易の精神は生かされません。
対立は自分の心の中にすら、たえずあるものです。「人生における対立物は全体の半分である」とマーフィー博士はいいました。対立こそ調和の序曲として積極的に対処することが必要です。
いまいちばん悪いのは対決を避けることです。
- 初9:批判することをしばらく止めなさい。
悔亡。喪馬勿遂。自復。見惡人。无咎。
(くいほろぶ。うまをうしなうおうことなかれ。おのずからかえる。あくにんをみて。とがなし。)
「悔いはなくなる。馬を見失うが、追わずとも向こうから戻ってくる。悪人でも心を広くして会えば問題はない」。一度背いた者もまた 戻ってくる時です。去る者は追わず、放任することです。また、気に入らぬからと避けて通るのは損になる時。
- 二9:あなたに似た良い者をさがしなさい。
遇主于巷。无咎。
(しゅにちまたにあう。とがなし。)
「巷」は町の小路のこと。「町の小路で主人に遭う。問題はない」。意外なことから解決策が見出せる時です。裏工作が功を奏しますが、 相談して行うことです。
◎火沢睽の中では良い時です。
- 三6:平静でいられれば、あなたは目的地へ向かっている。
見輿曳。其牛掣。其人天且劓。无初有終。
(よのひかるるをみる。そのうしひかれ。そのひとかみきられかつはなきらる。はじめなくおわりあり。)
「輿」は車のこと。「車が引き戻され,牛も引き止められて進めない。髪を切られ、鼻を切られるような憂き目に遭う。初めは良くないが 、 終りは良い」。周囲の人に誤解されたり、濡れぎぬを着せられたりと、苦労の多い時です。何事も関与しないが一番です。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります、よく反省し、改めましょう。
- 四9:どんな対立もやがては和解し解決することを実感しなさい。
睽狐。遇元夫交孚。厲无咎。
(けいこ。げんぶにおうてこもごもまことす。あやうけれどもとがなし。)
「睽狐」は背いて孤立すること。「元夫」は善良な人のこと。「背いて孤立するが、善良な人に会い、誠をもって交わるようにな る。危ういけれども問題はない」。意見が対立して孤立しやすい時ですが、正しくしていれば必ず素晴らしい理解者、かけがえのない親友が得られます。自我を 抑えて柔和な態度を心がけること。
- 五6:いまこの瞬間以外のことを考えてはいけない。
悔亡。厥宗噬膚。往何咎。
(くいほろぶ。そのそうはだえをかむ。ゆけばなんのとがあらん。)
「宗」は身内,親族のこと。「悔いはなくなる。同族と会って、柔らかい肉を噛むが如く和解できる。進んで事を行っても何の問題があろうか」。仲間と親しみ協力しつつ、解決に当たる時です。もめ事の後の仲直りといったところ。
- 上9:人のあなたに対する悪い態度は、あなたの人に対する態度の反映である。
睽狐。見豕負塗。載鬼一車。先張之弧。後説之弧。匪寇婚媾。往遇雨則吉。
(けいこ。しのとをおうをみる。きをいつしゃにのす。さきにはこれがゆみをはり。のちにはこれがゆみをとく。あだするにあらずこんこうせんとす。ゆきてあめにあえばすなはちきち。)
「睽狐」は背いて孤立すること。「豕」は豚。「塗」は泥。「寇」は敵、賊のこと。「背いて孤立する。泥まみれの豚と鬼が車に載っている。最初は弓を引いて射ようとするが、後には弓を下ろす。相手は敵ではなく求婚しようとして来たのである。進んで雨に流せば吉」。完全に疑心暗鬼の状態です。見方を変えれば疑いや誤解もとけて、すんなりと解決する時です。お互いに過去はサラリと水に流すこと。
「マーフィの易い」J.マーフィ(昭和61年、産能大学出版部)及び以下を参照しています。
http://www.keisho.server-shared.com/64/k38.html