第五章・いのちの時代 連載第百三十四話 ベニヤの艇

その話は、まだらな意識の、霧の切れ間から、こぼれ落ちてきた。
ある日、先生は、遠いところを見るような目で、若き日のことを、ぽつり、ぽつりと、語り始められた。彼は、隣に座って、ただ、聞いた。急かさず、口を挟まず、先生の言葉が流れるままに、耳を傾けた。
それは、戦争の話だった。
先生は、若き日に、陸軍に志願されたのだという。そして、広島の、江田島。海軍兵学校のある、あの島の近くで、訓練を受けられた。何の訓練か。特攻の、訓練だった。
マルレ、と先生は言われた。
後になって、彼は、それがどういうものであったかを、調べた。四式肉薄攻撃艇。それが、正式の名だった。情報を秘匿するために、連絡艇――マルレ、と呼ばれた。ベニヤ板で作られた、小さなモーターボートである。装甲などは、ない。積んでいたのは、自動車のエンジンだった。トヨタや、日産の。艇の後ろには、爆雷を積んだ。
彼は、その一点に、立ち止まった。日産の、エンジン。かつて、自分が長く身を置いた、あの会社の。時代も、意味も、まるで違う。けれど、平和な世に自動車を走らせるはずだったその技術が、あの戦争では、若者を乗せて敵艦へ向かう、小さな艇を動かしていた。同じ一つの技術が、時代によって、これほど違う顔を持つ。彼は、そのことに、言葉を失った。
その艇は、本来、体当たりのためのものではなかったという。敵の艦の、至近まで近づいて、爆雷を落とし、離脱する。乗員は、艇とともに、帰ってくる。建前は、そうだった。
けれど、実態は、違った。ベニヤの小舟で、敵艦の至近まで忍び寄る。爆雷を落とせば、その反動で、艇のバランスは崩れる。エンジンは、しばしば止まった。落とした爆雷の炸裂までに、逃げ切れるものか。生きて帰れる望みは、ほとんど、なかった。建前は生還、実態は決死。それが、あの艇だった。生きて帰れると教えられ、しかし、誰もが、帰れないことを、知っていた。
先生は、その艇の、訓練を受けられた。
過酷だった、と先生は言われた。詳しくは、語られなかった。あるいは、語れなかったのかもしれない。ただ、成績の下位の者から、特攻に投入されたのだ、と。そういう仕組みだったのだ、と。
そして、先生は、こう言われた。同期は、百名いた。生き残ったのは、二人だった、と。
彼は、その数を、聞いて、動けなくなった。百名のうち、二名。それ以外の、九十八名は、還ってこなかった。先生は、その、生き残った二人のうちの、一人だった。
なぜ、先生が生き残られたのか。それは、次の話につながっていく。だが、その夜は、そこまでだった。先生は、そこで、ふっと、糸が切れたように、黙られた。そして、また、霧の向こうへと、戻っていかれた。
彼は、しばらく、動けなかった。目の前におられる、この、穏やかな老先生が。かつて、多磨塾で、あれほど彼を導いてくださった、この先生が。若き日に、ベニヤの艇に乗せられ、九十八人の同期を見送り、その中を、生きて帰ってこられた。その事実の重みが、静かに、部屋に満ちていた。
歳月を経た今、振り返って、思う。
人は、その人が生きてきた、いちばん深いところを、たやすくは語らない。長い付き合いの中でも、語られないことがある。それが、意識の霧が深くなったとき、かえって、ぽろりと、こぼれ落ちる。先生が最後に手放さずにおられたのは、あの、ベニヤの艇の記憶だったのではないか。いちばん濃く、いちばん消せない記憶として、それは、先生の底に、沈んでいたのではないか。
生かされて、今を、存在する。
まだらな意識の霧の切れ間から、先生が「同期は百名、生き残ったのは二人」と、静かに言われた、あのときの部屋の空気を、今も、自分は、確かに、覚えている。
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