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第五章・いのちの時代 連載第百二十一話 大好きだったから

第五章・いのちの時代 連載第百二十一話 大好きだったから

第 五 章 ・ い の ち の 時 代
連載第百二十一話
大好きだったから

その女性は、いつも、怒ったような、顔を、していた。

むっつりと、して、機嫌が、悪そうに、見える。けれど——食事の、時間に、なると、顔色が、変わるのだ。表情が、ふっと、ほどける。目に、光が、宿る。なぜだろう、と、彼は、思っていた。

後で、ご家族に、伺って、合点が、いった。その方は——食べることが、大好きだったのだ。だから、食事の、ときだけ、別人のように、生き生きと、される。怒ったような、顔は、ただの、生まれつき。本当は、食いしん坊の、かわいらしい、おばあちゃんだった。

ところで——彼は、思う。食事介助は、最も、危険な「医療行為」では、ないか、と。

もちろん、健やかな、人が、ふつうに、食べることを、医療行為とは、言わない。けれど、高齢に、なると、話は、変わる。彼自身、もう、高齢の、部類だが、薬を、飲む、その水でさえ、ときに、気管に、入って、むせる。高齢者や、病気の方は、それが、もっと、進む。飲み込む力——嚥下が、衰えていく。ひどい、ときには、自分の、唾で、誤嚥して、吸引が、要ることも、あった。食後に、入れ歯が、見当たらず、レントゲンで、見ると、のどに、詰まっていて、肝を、冷やしたことも、あった。口から、食べることは、いのちと、隣り合わせだった。

その日も、彼は、いつものように、その方の、食事介助を、していた。

一さじ、ずつ。ゆっくりと。注意を、払いながら。その方は、いつものように、食事に、なると、機嫌よく、口を、開けた。好きなものを、食べる、その、よろこびの、顔で。

——突然だった。

むせた。気管に、食べ物が、詰まったのだ。彼は、とっさに、ナースを、呼んだ。二人で、処置に、あたった。必死だった。けれど——その方は、そのまま、急に、逝かれてしまった。

目の前が、真っ暗に、なった。

あれほど、注意して、いたのに。一さじ、一さじ、気を、配って、いたのに。それでも、防げなかった。自分の、介助の、さなかに、人が、亡くなった。その、重さが、彼を、押しつぶした。亡くなった、その方に、申し訳ない。申し訳なくて、ならない。そして——ご家族に、いったい、どう、申し上げれば、いいのか。彼は、ずっと、悩んだ。言葉が、見つからなかった。

やがて、ご家族が、見えた。

彼は、うつむいた。何を、言われても、仕方が、ない。詫びる、言葉を、探した。けれど——ご家族は、逝去された、その方の、お顔を、じっと、ご覧に、なった。

そして——そのお顔に、笑みのような、ものを、感じられたのだろう。静かに、こう、言われた。

大好きな、食事の、最中に、逝けて。きっと、本人も、幸せ、だったに、違いありません、と。

彼は——その言葉に、救われた。

責められて、当然だと、思っていた。なじられても、仕方が、ないと、思っていた。それなのに、ご家族は、彼を、責めなかった。それどころか、亡くなった、その方の、幸せを、思って、くださった。食べることが、何より、好きだった、その人が、大好きな、食事の、さなかに、逝った。それを——不幸では、なく、幸せと、受け止めて、くださった。

歳月を経た今、振り返って、思う。

あの言葉が、なければ、彼は、ずっと、その重さを、一人で、抱えていただろう。ご家族の、あの、深い、優しさが、彼を、救った。そして、思う。この施設は、食べる、よろこびを、最後まで、守ろうとした。その方は、その、よろこびの、ただ中で、逝かれた。むごい、ようでいて——もしかしたら、それは、あの人にとって、いちばん、その人らしい、最期だったのかも、しれない。怒ったような、顔の、奥で、食べることを、誰よりも、愛した、あの人。その、最期の、お顔に、浮かんだ、かすかな、笑み。彼は、それを、忘れない。いのちを、見送るとは、こういうことだったのだ。

生かされて、今を、存在する。

自分の食事介助のさなかに急逝された、食べることが大好きだったあの方と、「大好きな食事の最中に逝けて幸せだったに違いない」と言って、彼を救ってくださった、ご家族の言葉を、今も、自分は、確かに、覚えている。

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