「日本を支える公民」をどう育てるか ― 自由社版『新しい公民教科書』に学ぶ、教育の根幹

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「日本を支える公民」をどう育てるか
― 自由社版『新しい公民教科書』に学ぶ、教育の根幹

はじめに ― 制作者より
府中市で小中学生のための自習室を運営している身として、子供たちがどんな教科書で何を学ぶかという問題は、他人事ではない。
先日、伊勢雅臣氏のメルマガ「国際派日本人養成講座」で、自由社が新たに編んだ中学公民教科書を取り上げた論考に出会った。読み終えてすぐに思ったのは、「公民」という教科は、本来こういう問いに答えるためにあったのではないか、ということだ。
子供たちは、いずれ社会の担い手となる。その彼らに、日本という国をどう捉えさせるか。先人から受け継いだものをどう手渡すか。教科書一冊の違いが、十年後、二十年後の日本人の姿を左右しうる――この重みを、改めて突きつけられた思いがした。
以下、伊勢氏の論考の要点を、私なりに整理してご紹介したい。

1. 二つの公民教科書 ― その冒頭が物語るもの
伊勢氏が比較しているのは二冊の中学公民教科書である。
一つは自由社版『新しい公民教科書』。市販されておらず、現在クラウドファンディングで一般公開を目指している。
もう一つは東京書籍版。日本の公立中学校の約六割で使われている、いわば標準教科書である。
両者の違いは、冒頭の「公民を学ぶ目的」を述べた数百字に、すでに如実に表れている。
自由社版は、日本の先人たちのたゆまぬ努力によって今日の社会が築かれたことに感謝し、現世代がそれを受け継ぎ、次の世代へ手渡すことを公民の役割として明示している。そしてその担い手として「日本を支える公民」という言葉を打ち出す。短い冒頭文の中に「日本」という語が五度登場する。
東京書籍版はどうか。現代社会の課題――環境、防災、人権、情報など――を解決する力を身につけよう、と説く。文章は理性的で行き届いている。ただし、ここに「日本」という言葉は一度も登場しない。
これは単なる用語の選択の問題ではない。「公民」をどういう存在として育てるのか、そもそもの設計思想が異なっているのである。

2. 「先人への感謝」と「子孫への手渡し」が抜け落ちる時
東京書籍版の記述には、もう一つ気になる点がある。それは、現代社会の課題が「解決されるどころか、むしろ次々と新しい課題が生まれているのが現状」という記述だ。
事実として間違ってはいない。しかし、この一文には、それまで先人がどれだけの課題を乗り越えてきたかという視点が欠けている。
戦後日本は焦土から立ち上がり、世界第二の経済大国となり、平和を保ち、国民皆保険を整え、識字率も寿命も世界トップクラスに押し上げた。これらは天から降ってきたものではない。先人たちの汗と知恵の結晶である。
その達成への感謝が抜け落ちると、現代の若者は「自分たちは未解決の課題ばかりを押しつけられた世代だ」という被害者意識を抱きかねない。これは公民教育として、健全とは言いがたい。
自由社版が「先輩のたゆまぬ努力」「次の世代の人たちに手渡していかなければなりません」と書くのは、過去への感謝と未来への責任という、共同体を維持していく上で不可欠な感覚を、最初に植えつけようとしているのだろう。

3. 国家の二つの顔 ― 「利益社会」と「共同社会」
伊勢氏が紹介する自由社版のもう一つの特徴は、国家を「共同社会」として捉える視点である。
自由社版は社会集団を二種類に分類する。
利益社会とは、特定の目的のために人為的につくられた集団である。企業やクラブがその典型で、契約とルールによって成立する。
共同社会とは、血縁や地縁によって自然に生まれた集団である。家族や郷土がそれにあたる。特定の目的のためではなく、生活そのものを共にする集団だ。
国家には、この両方の側面がある、と自由社版は説く。法律で国民の権利義務を定める部分は利益社会的だが、同じ国に生まれ育ち、言語と歴史と文化を共有する関係は、まぎれもなく共同社会である。
ここで興味深いのは、東京書籍版にこの**「共同社会」という概念そのものが出てこない**という指摘である。社会集団として家族と地域社会は扱われるが、国家は社会集団のリストに登場しない。国家の説明は、フランス革命の人権宣言と社会契約説の引用に集約されている。
社会契約説は、国家を「個人の契約によって成立する」と捉える。これは利益社会の説明としては成り立つが、国家が持つ共同社会の側面を捉えそこねる。

4. 「公」とは「大きな家」― 日本語が語ること
伊勢氏が指摘する一節で、最も印象に残ったのはここである。

「公民」の「公」とは日本語では「おおやけ」とも読むけど、それは「大きな家」を意味する。さらに日本語ではわざわざ「国」に「家」をつけて、「国家」と呼ぶ。
([伊勢雅臣氏メルマガより要約])

「おおやけ」は古くは「大宅(おおやけ)」と書き、文字通り大きな家、すなわち天皇の住まいを指した。そこから転じて、皇室、朝廷、公的なもの全般を意味するようになった。
そして「国家」――英語の state や nation を翻訳する際、明治の知識人たちは「国」だけでなく「家」をつけた。これは偶然ではない。日本人が伝統的に、国を「大きな家族」のように捉えてきた感覚が、この熟語に結晶している。
家族のためには損得を超えて尽くせる。同じ感覚を、もう少し広げて郷土に、さらに広げて国に向けるとき、人は単なる契約関係を超えた絆を持つことができる。これが共同社会としての国家の力の源である。

5. 「愛国心」とは何か ― オリンピックでの一体感
自由社版は「愛国心」を、特別な思想ではなく、ごく自然な感情として説明している。
オリンピックで日本選手が活躍した時、嬉しくなる――この感覚こそ愛国心の自然な表れである、と。
これは説得力がある。普段は政治信条も生活水準も違う人々が、その瞬間だけは同じ日本人として喜びを分かち合う。経済的・社会的・人種的な違いを超えて「同じ国家に属するという共通の意識」が一体感を生む――まさに共同社会の力である。
この一体感を経験した子供たちが、やがて「国家や社会の発展に努力していこうとする気持ち」を自然と養っていく。自由社版はそういう道筋を描いている。

6. 進化人類学が語る ― 共同社会こそ人類繁栄の基盤
伊勢氏は、共同社会の重要性は最新の学問でも裏付けられていると指摘する。
進化人類学によれば、人類が現在の繁栄を獲得できたのは、家族を超えた広い共同社会を作る能力を持ったからだという。
数万年前のネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスより脳容積も身体も大きかった。しかし家族程度の集団しか作れず、氷河期を生き延びられなかった。
一方、ホモ・サピエンスは利他心を発達させ、血縁を超えた多くの家族が協力し合う大きな共同社会を作ることができた。だからこそ生き残った。
イスラエルの哲学者ヨラム・ハゾニーは、独立した国民国家こそが「集団的な健康と繁栄を追求する最大の自由」を人間に与える制度だと論じている。社会契約説が想定する個人の集合体ではなく、相互の忠誠と絆で結ばれた共同体としての国家――それが人類が知る限り最高の制度だ、というわけである。

むすび ― 「仕合わせ」の国を、子供たちへ
ここまで伊勢氏の論考の要点を追ってきた。最後に私自身の感想を記しておきたい。
私は普段、府中の自習室で小学生から中学生までに勉強を教えている。彼らはまだ「公民」を習っていない学年も多いが、やがて受け取る教科書がどちらの設計思想に基づいているかで、彼らが大人になった時の日本への感じ方は確実に変わる。
「日本」という言葉が冒頭に五度登場する教科書と、一度も登場しない教科書。この差は、子供たちの心に二十年後、三十年後に静かに効いてくる。
私が連載している小説「至誠の覚醒」もまた、根底のテーマは同じである――先人の志をどう次代へ手渡すか。教科書を作る人々も、教える人々も、家庭で子供と向き合う親たちも、自習室で小学生に算数を教える私のような者も、結局のところ同じ問いの前に立っている。
家族を愛し、郷土を愛し、国を愛する。先人に感謝し、同胞を思いやり、子孫のために尽くす。そうした「日本を支える公民」が一人でも増えることが、互いのために尽くす「仕合わせの国」を作っていく。
伊勢氏の論考を読んで、改めてその思いを強くした次第である。本誌の読者にも、ぜひこの教科書の存在を知っていただきたい。

出典・参考
本稿は、伊勢雅臣氏のメルマガ「国際派日本人養成講座」掲載の論考を要約・再構成し、筆者の所感を加えたものである。原文の主張・構成は伊勢氏に帰属する。
【関連リンク】
自由社版『新しい公民教科書』クラウドファンディングhttps://readyfor.jp/projects/168971
(目標金額 1,200,000円・2026年6月30日まで)
(文責 三原嘉明)

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