至誠の覚醒 連載 第五十二話  チェリーX1で走る朝

第 二 章 ・ 社 会 の 時 代
第 五 十 二 話

立川の渋滞

― チ ェ リ ー X 1 で 走 る 朝 ―

入社して最初の数か月は、工場の敷地内にあった独身寮で暮らしていた。

朝起きて、寮の食堂で簡単な朝食を取り、敷地内を歩いて自分の机に向かう。通勤というほどの通勤ではない。職場と寝床のあいだに、徒歩十数分の道があるだけだった。便利と言えば便利だったが、二十代の若い体には、何かが物足りなかった。

多磨塾で買った、チェリーX1がある。

家から通えば十五キロちょっとである。自宅は多摩市連光寺。村山工場までの道のりを、毎朝、自分の車で走る——そう決めて、ほどなく寮を出た。寮の便利さよりも、毎朝の十五キロのほうが、自分には性に合っていた。車を持つというのは、単に移動の手段を持つということではない。一日のうちに、自分だけの時間と空間を、両端に確保するということでもある。

◇ ◇ ◇

通勤のルートは、人によって違っていた。

普通に勧められるのは、国道二十号——甲州街道——を素直に北西へ走るルートである。広い道で、信号も整備されていて、地理に不慣れな者でも迷わない。多くの社員は、たぶんそちらを選んでいた。

自分は、近道を狙う癖があった。

家を出てから、まず多摩川沿いの道を北西へ向かう。川面を右手に見ながら、軽く下流から上流へとさかのぼっていく形である。朝の多摩川は、季節によって匂いが違った。夏は草いきれと水の匂い、秋は枯れ草と砂の匂い、冬は冷たく硬い空気の匂いだった。窓を少し開けて走ると、その朝の匂いが、運転席まで流れ込んでくる。

多摩川の道から、細い枝道に入る。

車一台がやっと通れる、地元の人しか使わないような道である。地図の上では裏道だが、走ってみれば近道だった。曲がりくねった細い道を抜け、二十号線の手前で一方通行に当たる。一方通行の細い道を慎重に進み、二十号を突っ切る。突っ切った先も、また車一台がやっと通れる道。住宅の軒先をかすめるようにして、北西へと進路を取り続ける。

東京女子体育大学の脇を通り抜ける。

朝の早い時間にも、若い学生の姿が校門の周辺に見えることがあった。こちらは仕事に向かう車、向こうは登校してくる学生。すれ違う一瞬の風景の中に、別の時間を生きる人たちの気配があった。立川病院を左手に見ながら、さらに北西へ。立川の市街に入る前の、最初の渋滞ポイントを、こうして避けていく。

立川には、混む分かれ道がいくつかあった。

最初の一本目を避けても、その先で待っているものがある。中央線の跨線橋を越えるあたりから、いよいよ本格的な渋滞に入る。この区間は、当時、毎朝の風物詩のような滞りだった。

◇ ◇ ◇

跨線橋を越えるあたりの渋滞は、今でも変わらない。

これは、五十年以上経った今、たまに地図を眺めながら、しみじみと思うことである。あの頃、自分のチェリーX1の前にも後ろにも、同じように朝のラッシュに巻き込まれた車が並んでいた。あれから半世紀、あの場所の渋滞は、形を変えながらも、似たような時間に、似たような長さで、同じ場所に居座り続けている。

町には、変わるものと変わらないものとがある。

店は変わる。看板は変わる。歩いている人の服装も、髪型も、持っているものも変わる。しかし、道路の交差の仕方と、線路の通り方と、それによって生まれる渋滞のポイントだけは、なかなか変わらない。土木のスケールで起こることは、人間の世代を一つ二つ越えても、同じところに留まっている。あの跨線橋の渋滞は、土木のスケールで動いているのである。

渋滞の中で、自分は何を考えていたのか。

正直に言えば、覚えていない。具体的に何を考えていたかは、もう思い出せない。たぶん、その日の仕事のことを考えていたのだろう。中近東向けの仕様変更の電話が今日も来るだろうか、CCRの先輩に顔を合わせずに済むだろうか、ユニット計画の係に頭を下げる用件はあるだろうか——そんな細々したことを、ハンドルを握りながら、ゆっくりと頭の中で並べていたのだと思う。

渋滞の時間は、無駄な時間ではなかった。

机に着いてから慌ててやることを、車の中で先に整理しておけば、その日の最初の三十分の動きが変わる。動かない車の中で考えるのは、なぜか、机の前で考えるより遠くまで届いた。たぶん、視線がフロントガラスの先に放たれていたからだろう。机の前では、視線はせいぜい一メートル先の紙に落ちている。視線の届く距離が、思考の届く距離を、知らないあいだに決めているのかもしれない。

◇ ◇ ◇

跨線橋の渋滞を抜けると、左手に立飛工場が見えてくる。

立川飛行機の工場である。戦前から続く由緒ある場所で、当時もまだ立派な操業が続いていた。航空機を作る工場と、自動車を作る工場とが、同じ多摩の北西の片隅に並んで存在している——町の歴史というものを、若い自分は、その風景の中に何となく感じていた。

砂川七番から、都道五十五号線に入る。

ここまで来れば、もう村山工場は近い。道は広くなり、流れも軽くなる。家を出てから一時間と少しか、二時間近くか——日によって所要時間は違ったが、跨線橋の渋滞を抜けたあとの最後の一区間は、いつも気持ちが少し軽くなる時間だった。

そして、村山工場の門が見えてくる。

門というよりも、敷地の入り口である。当時、村山工場の従業員は三千人ほどいたと記憶している。その半分以上が車で通勤するのだから、当然、敷地の周囲には巨大な駐車場が用意されていた。朝のラッシュの時間帯には、駐車場へ向かう車の列が、もう一段の小さな渋滞を作っていた。

駐車場に車を入れ、エンジンを切る。

そこから、生産課のあるビルまで、歩いて十分。日によっては、もっとかかった。広い敷地を、自分の足で横切る時間が、運転の時間と机の時間とのあいだに、もう一つ挟まれていた。歩きながら、車の中で考えていたことを、もう一度、頭の中で並べ直す。机に着くころには、その日の最初の動きが、ほぼ決まっていた。

◇ ◇ ◇

村山工場の地形を、今、思い出してみる。

広い敷地の西側には、全長四千メートルのテストコースが横たわっていた。一周四キロという、当時の自動車工場としては破格の規模である。テスト走行のための高速周回路、加速・制動試験のための直線、悪路走行のためのコーナー——それぞれが、テストコースの中に組み込まれていた。完成した車が、そこで走り、ねじ伏せられるようにして、性能を確認されていた。

テストコースの東側に、生産設備が並んでいた。

プレス工場、車体工場、塗装工場、組立工場、そしてフォークリフトの生産工場——。鉄板を打ち抜き、車体を溶接で組み上げ、塗装の窯に入れて焼き付け、組立ラインで部品を載せていく。その流れの全体が、テストコースの東側の一帯に、地形として配置されていた。

当時の主要車種は、スカイラインとローレル。

のちには、マーチも生産されることになる。スカイラインは走りの車、ローレルは少し落ち着いた車、マーチはコンパクトな大衆車——日産の車種ラインナップの中でも、性格の違う三つの車を、同じ工場で並べて作っていた。生産能力は、一日、昼夜で一千台近くに達していたと思う。一年で三十万台を超える車が、この敷地から日本中、世界中に出ていったことになる。

その一日千台のラインの上を、自分が組んだ計画書の数字が、毎日、流れていた。

◇ ◇ ◇

夕方、仕事を終えて、また同じチェリーX1で家に戻る。

行きと帰りでは、見える景色がまったく違う。朝の渋滞のあった場所は、夕方は別の方向の渋滞になり、朝に光っていた多摩川の水面は、夕方は夕陽を映して別の色になる。同じ十五キロの道を、毎朝毎晩、別の表情で走り続けていた。

自分のチェリーX1は、その毎日の景色を、黙って運んでくれた。

多磨塾で買った一台が、自分の最初の車だった。多磨塾——その名前が、今となっては妙に懐かしい。あそこで買ったチェリーX1は、決して上等な車ではなかった。それでも、若い日の自分にとっては、独身寮の便利さと引き換えにしてでも持ちたかった、最初の自由の道具だった。

◆ ◆ ◆

村山工場は、もうない。

日産の業績が悪化し、村山工場は閉鎖された。あれから何年が経ったか——十年か、二十年か、もう少し前か。閉鎖されたあと、跡地は丁寧に整地され、今では、地図の上で、巨大な空白として横たわっている。

地図を開くと、その空白の輪郭が、今でもよくわかる。

なぜなら、自分の頭の中には、当時の工場の地形が、まだ生きた地図として残っているからである。テストコースの曲線、プレス工場の位置、車体工場と塗装工場のあいだの通路、組立工場の長辺、フォークリフト工場のささやかな一角——それらが、今の地図の空白の上に、透明な線で重なって見える。

かつて一日千台の車が走り出していった敷地が、今は静かな空白になっている。

そこに毎朝、三千人が車で集まっていたという事実を、今の地図は、もう何も語っていない。語っていないが、しかし、自分の中には、語られないままの記憶が残っている。チェリーX1で走った十五キロ、跨線橋の渋滞、立飛工場、砂川七番、駐車場の朝、敷地を歩く十分——それらは、地図の空白とは関係なく、自分の体の中に、はっきりと残っている。

町の渋滞は、今も同じ場所にある。

しかし、その渋滞の終点にあった工場は、もうない。終点が消えても、その手前の渋滞だけは、変わらず居座り続ける——そういうことが、人間の暮らしには、起こる。土木は人より長く生き、産業はそれより短い時間で動き、人間の記憶はその両方を、不思議な形で抱え続ける。

朝のチェリーX1は、もう走っていない。

しかし、走っていたあの朝のことは、まだ消えない。

(つづく) R080430
― 姓 名 科 学 の 殿 堂 ―
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