◆ 西洋の社会システムを真似ると不幸になる ◆
産業革命は19世紀の前半には成熟期に入り、その中心的存在だったイギリスは1870年代まで世界最大の工場国として君臨しました。当時のイギリスは世界で最も豊かな国だったはずです。
ところが国民の生活が農かになったかと言うと、けっしてそうではなかったようです。
霧の都ロンドンの「霧」は、かつてはメキシコ暖流による湿度の高い空気から発生していたものでしたが、産業革命以後は工場の煤煙(ばいえん)を原因とする、いわゆるスモッグに取って代わられました。
工場から排出される煤煙や排水で環境汚染が進み、労働者は公害の街に住み、生産カの向上だけを追求する計画に組み込まれ、過酷な労働を強いられていました。
1848年にマルクスとともに『共産党宣言』を発表して資本主義を徹底的に批判することになるエンゲルスは、1845年に発表した『イギリスにおける労働者階級の状態』という論文で、イギリスの労働者の生活を次のように描写しています。
「貧民には湿っぽい住宅が、即ち床から水があがってくる地下室が、天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。貧民は粗悪で、ぽろぽろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化の悪い食料が与えられる。貧民は野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。貧民は性的享楽と飲酒の他には、いっさいの楽しみを奪われ、そのかわり毎日あらゆる精神力と体力とが完全に疲労してしまうまで酷使される」明治維新期の日本は、このような西洋を見習おうとしていたのです。今でも、こう
した勘違いは変わりないのかもしれません。
イギリス料理と言われて思い浮かぶのは、フィッシュ・アンド・チップスと呼ばれる、魚類のフライとフライドポテトの盛り合わせくらいです。豪華で格別に美味しい料理を思い浮かべることはあまりありません。
イギリス人は元来、(アメリカ人も同様ですが……)食に関しては大雑把なところがありました。
産業革命で人々の生活には余裕が生まれるはずでした。イギリスの労働者がやっと日常生活に喜びを見出そうという時に、産業構造上、労働者への搾取が厳しくなり、日々を仕事に追われ、ついに食生活に喜びを見出す機会を失ってしまったのだという説もあります。
『かけがえのない国 誇り高き日本文明』武田邦彦著 MdN出版(R05年)より R080418

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