色即是空
空即是色
レンタカーの予約が、入っていなかった。
前日の夜、会員登録を済ませ「登録できました」という画面を見て、安心して眠りについた。当日の朝になって初めて気づいた。車両の予約と、会員登録は、別の話だったのだと。
てんやわんやの末、幸いにも別の車両が手配できて事なきを得た。しかし後から方位盤を開いてみると、その日——2026年3月26日は、大凶と出ていた。
「ああ、そういうことか」
と、思うか。
「たまたまだろう」
と、一蹴するか。
どちらが正しいかを、私は決めない。それよりも、もっと面白いことを考えている。
量子力学に、こういう話がある。
電子は観測されるまで、「波」として複数の場所に同時に存在している。しかし観測した瞬間、一つの場所に「粒」として確定する。観測という行為そのものが、現実を決定する。
アインシュタインはこれを嫌った。「神はサイコロを振らない」と言って最後まで認めようとしなかった。しかし実験は繰り返され、今では量子コンピュータの基礎となっている。
世界は決まっているようで、決まっていない。
方位学も、似た構造を持っていると私は思う。
吉方位があるということは、凶方位もあるということだ。どちらへ行くかを、最終的に決めるのは自分である。方位盤は「観測装置」であって、「運命の宣告」ではない。
もし3月26日の朝、方位盤を開いていたら。「大凶」という文字を見ていたら。私はもう少し慎重に、予約の確認をしたかもしれない。あるいはそもそも外出を控えたかもしれない。
見なかったから、確認しなかった。
これは「大凶だったから失敗した」のではなく、「観測しなかったから、波が最悪の形で収束した」と言えないだろうか。
「形あるものはすべて空であり、空はそのまま形である」——仏教の言葉だが、量子力学の教科書に書いてあっても違和感がない。粒子は波であり、波は粒子である。観測が現実を作る。
長い間、方位学も姓名科学も「迷信」と言われてきた。しかし牧正人史先生が昭和33年に発見された体系は、一万例を超える照合で精度95%を示している。これは「信じる信じない」の話ではなく、統計の話だ。
迷信と科学の境界線は、実は非常に曖昧である。かつて「地球が丸い」と言った人間も迷信扱いされた。「手を洗えば病気が減る」と言った医師も、同僚に嘲笑された。
真理はいつも、時代より少し早く生まれてくる。
レンタカー騒動の翌日、私はもう一度方位盤を開いた。
今日の日盤、月盤、年盤。三つの星回りを確認し、吉方位を頭に入れてから外出する。郵便を出すなら、ポストの方角を確認する。手紙の宛先が北方向なら、北のポストを探す。
くだらないと笑う人もいるだろう。
しかし私はこの19年間、そうやって生きてきた。大きな失敗をしたときは後から必ず方位盤と照合し、符合することに静かに驚いてきた。確信は、押しつけではなく積み重ねから生まれる。
人生は決まっているようで、決まっていない。
その「決まっていない部分」を、どう使うか。それが方位学という道具の、本当の意味だと私は思っている。
令和八年 春


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