2. 文明の矛盾:本性と幸福のジレンマ(武田邦彦先生の講演会より)2/3
ところが、ここに大きな問題があります。 幸福という観点から言えば、単細胞生物や初期の多細胞生物のままで良かったのかもしれません。しかし、DNAは勝手に改善を続けてしまいます。これが生物学的な「善」かどうかは分かりませんが、とにかく書き換えられていく。その行き着く先がどうなるかは、誰にも分かりません。
例えば、中生代の恐竜も、隣の個体より強くなるために巨大化を求めました。巨大な体を持つDNAが支配的となり、2億5000万年かけて肥大化していきました。最初はネズミのような大きさだったものが、あんなに巨大になったのです。一説では「大きくなりすぎて(環境に適応できず)滅びた」という説もあります。隕石衝突説だけでは説明がつかない部分が学問的にもあるのです。
DNAも脳も「改善こそが良し」とします。例えば、ある主婦がお皿を洗う際、一滴で油汚れが落ちる洗剤を一度知ってしまえば、もう前の不便な洗剤には戻れません。人間は日々改善し、後戻りができないのです。私もついつい毎日ブログを更新していますが、これも一つの改善への欲求でしょう。
しかし、ここで幸福との間に矛盾が生じます。改善の「目的」が不明なのです。 頭脳が進歩しすぎた結果、現代ではノイローゼやうつ病など、脳の病が顕在化しています。皮肉なことに、不自由なく暮らせるはずの時代に「幸福論」を語らざるを得なくなっているのです。 最近ではAIが登場し、将棋で人間に勝るようになりました。AIが進歩してロボットが人間を全滅させるのではないか、という懸念すらあります。つまり、「改善」が「滅亡」に向かっている可能性があり、これが幸福論を混乱させています。
幸福論を学ぶと、「進歩しない状態こそが幸福だ」と説く人もいます。しかし、私はそう簡単には言い切れないと思います。なぜなら、人間の本性(さが)は「体も頭も心も改善すること」に心地よさを感じるようにできているからです。 心地よいと感じることを否定して、果たして幸福になれるでしょうか。良寛さんのような質素な庵よりも、現代的な高層マンションの方が心地よいと感じるなら、それは人間の本性に合致した幸福といえます。
もし「便利さは幸福ではない」と定義するなら、それは自分の根本的な性質に反することになります。自分の性質に抗う状態を幸福と呼ぶには、かなりの無理があるのではないでしょうか。
私はここで、以下の三点を前提とします。
◎ 人間は動物である。
◎ 人間は頭脳に支配されている。
◎ その「性(さが)」はあらかじめ決まっている。
であれば、人間という生物の性に即した状態を「幸福」とすべきではないか。 ただ、そうなると「東京の高層マンションに住むこと」が正解になってしまいますが、私自身もそこに一抹の疑問を感じています。
この連載も4回目となりますが、読者の皆様から多くの意見をいただいております。 とりあえず1回から4回までで整理したのは、「動物としての人間」という基礎です。 動物の発生、人間と他の動物の違い、あるいは「鉄の鍬(くわ)」の発明によって暇ができたことで幸福観がどう変わったか。そして、生物がDNAレベルで持っている「改善しなければならない」という性質についてです。
哲学や宗教では「貧乏でもいい、昔の生活でもいい」と説かれます。それには一理ありますが、やはり人間の本性と反するのではないでしょうか。 不衛生な環境よりは、清潔で機能的なマンションに住む方が、生物学的な本性に即した幸福であるはずだ、と整理してきました。
(武田邦彦先生の講演会より)R080306
