「役に立つ研究」の無意味さ
ここ数年、専門家が著しく堕落した原因には、1990年頃に吹き荒れた「役に立つ研究」が挙げられます。
1990年あたりからは役に立つ研究でないと、国からの研究費の補助が出なくなったのです。そのため、専門家たちの多くが「役に立つ研究」になびいてしまったのです。
しかし一口に「役に立つ研究」とは言いますが、役に立つか立たないかを誰が判断するのでしょうか。
研究の結果がどうなるかは当事者にもわかるものではなく、どうなれば成功といえるのか、結果がまだわからない段階でいったい誰がその研究が役に立つか立たないかを判断するのでしょうか。
それは政府の役人や政府べったりになっている御用学者が決めるのです。そのため政府が進めている政策に沿ったもの以外の研究費は認められない―――ということになってしまいました。
これについては私自身も経験があります。
私は別に政府に反抗しているわけではないのですが、専門分野については自分の考えを持っています。専門家としては、当たり前のことです。
たとえば、私は「石油はすぐにはなくならない」とずっと考えてきました。石油がなくなると言われてから50年以上が経った今では、一般の人たちも「石油はそんなすぐにはなくならないんじゃない?」「30年でなくなると言っていたのは何だったの?」
と疑問を持つようになりましたが、私のような専門家はマスコミが「石油はなくなる」と言っていた時期から、自分の資源学による研究やデータ調査からの結論として「なくならない」と言い続けてきたのです。


👆武田邦彦先生の書籍を元に、AIに描かせた研究者の姿です。何となく、共感できるような、、、
これは原子力や医療についても同じことで、発言する際には必ず根拠があるわけです。しかしそうすると、時として政府の政策とは大きく違うこともあります。
たとえばリサイクルに関して、私は「リサイクルは余計に資源を使ってしまうため、エネルギーや物質消費には損になるだけだからやらないほうがいい」という考えを持っています。
しかし2000年頃は、リサイクルを伴わない物質研究には国からの予算は認められませんでした。
『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊
20240310 P51