● 自分だけの健康が守られれば良いのか一環境問題の孕む矛盾

塩ビに似た話で、もっと大規模なものが殺虫剤として使用されていたDDTの追放である。
人類と害虫との歴史的に長い戦いの後、20世紀になってスイスの科学者であるパウル・ヘルマン・ミュラーはDDTを発見 した。彼はこの功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。
DDTは人間には害を及ぼさず、昆虫にだけある神経系を攻撃するものだった。それまでの殺虫剤は人間にも毒性があり、使う量に気をつけて人間に害が及ばないようにしていたが、 DDTが出現するに及んで、薬害をほとんど心配せずに使えるようになった。
人間に対して安全で害虫だけ退治する薬ができたので、みんな喜びDDTを使いすぎた。特にアメリカではマイマイ蛾が大発生したこともあってヘリコプターを使って大規模にDDTを散布したので、昆虫が少なくなり、その結果として昆虫を食べる鳥の数も減った。これは大変だということになってDDTの排斥運動が起こった。
ところが、ちょうどその頃、マラリアが多い南方の国では細々とDDTを使いながらハマダラ蚊によって媒介されるマラリアの退治に乗り出していた。マラリアは体力のない子供を襲う。火災で焼け死ぬのも辛いが、マラリアで死んでいく子供たちも悲惨である。
DDTの出現はマラリア退治の救世主になるはずだった。ところが、環境運動と称してDDTの追放が始まり、先進国は DDTの生産を中止した。その結果、発展途上国ではDDTが手に入らなくなり、マラリアを媒介するハマダラ蚊は息を吹き返し、今では年間、200万を超える人がマラリアで死ぬという。
DDTが排斥されて40年になるので、全部で1億人近い人が「環境を守る」という名目の下にマラリアで死に、また現在でも死に瀕している。
そのDDTは一時期、発ガン物質であるとの指摘を受け、排斥されたが、現在の研究ではそうした発ガン性は認められないとされている。
「環境」とは自国民や自分だけの健康が守られれば良いのだろうか。
エアコンが効いた部屋の内と外にいる人の違いと同様である。エアコンを付ければどんな暑い日でも自分の部屋の中だけは涼しい。しかし、室外機からは排熱として熱風が吹き出す。それと同様に、ほとんど毒性を持たないDDTを自分の身の回りから排斥したいがために法で禁止する。世界のどこかで多くの人が死んでいっても、そこには関心が及ばない。
耐火材の排斥では幼児とお年寄りが犠牲になり、DDTの禁止では南方の国の人がマラリアで苦しんで死んでいった。幼児、お年寄り、そして南国の子供達ーー。どの人も力が弱く、声も小さい。ダイオキシン報道によってセベソで中絶された幼い命の声はゼロである。

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』武田邦彦 洋泉社刊 2007年
20230918  190