もし、上司がいなかったらどうなるでしょうか。
想像してみてください。
皆がフラットな関係ですから、物事を決定するには、常に議論をしなければなりません。議論、大いに結構じゃないか、と、こう思う人もいるでしょう。
いうことが前提なのです。議論百出、でも、「自分と他人は違う」といつになってもケリがつきません。だって、「じゃあこうしよう」と決断を下してくれる上司がいないのですから。
どういうことになるかというと、非常に効率が悪くなるのです。どんなときでも議論ですから、スピードがない。経済活動としては、大いにマイナスです。会社という組織は、意見が異なったときに、「最後は上司に従う」というルールを作ることで、効率をアップさせていたのです。
上司と意見が決定的に異なるときは、だから自衛するしかありません。
例えば、取引先をどうするか、A社とB社で揉めたとします。上司はA社だと言い、自分はB杜だと思う。そんなときは喧嘩をせずに、ひと言、「A社がいいのですね? じゃあ、A社に行ってきます。私はB社がいいと思っていますが……」と言ってから出かければいいのです。
結果的に、B社のほうが良かったことがわかった場合は、さすがに上司もちょっとは反省しますから、「ちょっとおれの判断をまずかったな。あいつはなかなかよくわかるやつだから、今度からは少しその通りにさせてやろう」と、こうなるわけです。
そんな反省もしない意地悪な上司の場合は、少しずつ遠ざかればいいのです。これも、難しいことではありません。
日常的なことを議論するのは効率を妨げるだけではありません。フラットな場で議論すること自体にも、実は問題があります。議論することは一見、理にかなっているように思えますが、問題は、あなたの「正しい」と思っている考えが、否定されたときです。上司に言われて、しぶしぶ上司の意見に従ったのなら、「仕方ないな」で済みます。しかし、フラットな場で自分の意見を否定された場合、あなたのプライドはどうなるでしょうか。いた<傷ついてしまうのではないでしょうか。
言うなれば、上司の言っていることは、「仮の正しさ」です。だって神様じゃないのですから、最終的に「正しい」かどうかなんて、誰にもわからないのです。だから、上司という役割のもと、「仮の正しさ」を決めるのです。「仮の正しさ」にあなたの意見を否定されたからといって、どうってことありません。上司は取り替えがききます。極端な言い方をすれば、上司から、あなたの考えを否定されたからといって、あなたは自分が正しいと信じている考えを曲げる必要がないのです。
だから、酒場で、「あいつは間違ってる!」なんて口角に泡を飛ばして上司を罵っているサラリーマンを見かけると、「かわいそうにな」と思ってしまいます。その考え方で突き進む限り、幸せなサラリーマン生活は送れません。
実際、どんな会社であっても、その会社のトップーつまり社長が「正しい」と思うことをやっているのです。
その会社が進む方向なんて、先ほど挙げた 4つ―――宗教も、道徳も、倫理も、法律も、決して教えてくれません。だから社長(上司)が判断するのです。会社というの
はこうやって、「上司が考える正しさ」によって動いているのです。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より