ロシアの文豪トルストイは 、大著『戦争と平和』の中で、ナポレオンもまた、歴史の子、時代の子である、というようなことを書いています。自分の意志で戦争を繰り返していたように見えますが、時代に翻弄されていた、というわけです。
先日、あるテレビ番組の収録をしていたとき のことです。横にいた担当ディレ クターが震えているんです。新しい企画だったので、失敗してはまずいと緊張していたんですね。
私はそのディレクターに言いました。
「あなたね、いまから60年前だったら、あなたぐらいの歳は、『いまから突撃するぞ!』って言って、それで死んだ年代ですよ。もしこの番組が失敗して、あなたが退社することになっても、たかが退社じゃないの。戦場じゃないんだから、弾は当たらないよ」
男子もまた、歴史の子、時代の子ということです。女子もそう。「正しい」か「正しくない」か、それ以前に、この枠をはずすことはできません。男女差は、この時代だから仕方がないよ。
こんなふうに思って、前向きにやったらどうだろうか。教え子にはこんなふうに言っています。戦後、「男女平等」が叫ばれ「役割分担」という言葉が嫌われたのは、男女の本当の問題ではなく、時代的な背景があります。日本では男性の優位が続いた反動として近代になって「男女平等」が求められました。しかしそれも戦後70年を経て、「平等」という用語はふさわしくなくなり、「男女均等」に変わりました。
男女がそれぞれの特徴を活かし、女性は子どもを産まなければなりません。性質も考え方も着ている服も何もかも男女で違うのですから、すべてを同じにするという のが実に滑稽で奇妙であることはすぐにわかります。だから当然、役割分担もあり、人間の体で言えば「手と足」のようなものです。
「手足平等」と言っても、手と足は協力して体が普通に活動する役割を分担しているだけです。手は筋肉が弱いのに「逆立ちになって歩け」とか、足は不器用なのに「レース編みをしろ」と言っても無理難題です。さらに最近では、「夫婦の間はうまくいかないのが当然だ」というようなことも言われますし、「離婚」を勧める本まで数多く出版されていますが、過去のことにとらわれて「正しくない」方向に舵を切っていると感じられます。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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