「利己的な正しさ」――、このことを考えると、私はひとりのアメリカ人を思い出します。空軍大将のルメイという人です。アメリカの歴史上、この大将は「ヒーロー」です。でもこれは、「ある立場から見たら」という注釈付きのヒーローなのです。
ルメイがアメリカ人のヒーローになった瞬間は、1945年3月10日です。そう、東京大空襲のあった日です。
これは非常に大きな節目で、「戦争の正しさ」がはっきりと変わった瞬間でした。このとき、日本はかなり疲弊しており、敗戦は目前でした。アメリカはすでに、グアム島やサイパン島を占領し、そこからB29で爆撃を行ない始めていました。司令官はヘイウッド・ハンセル准将です。実に意気揚々としてます。ただハンセル司令官は1万メートル以上の上空から軍事施設に向け、爆撃を行ないました。
それまでの「戦争」は、軍服を着た兵士同士が戦う、ある種のゲームのようなものでした。

なぜ軍服を着るかというと、軍服同士しか殺してはいけないという暗黙のルールがあったからです。戦国時代でもそうです。戦闘員は甲冑を身にまとい、それどころか、自分たちの部隊がどの大将の所属かわかるように、旗まで持っていました。戦う場所も気を遣って、例えば天下分け目の関ヶ原の戦いは、何もない原っぱでした。ナポレオンによる、ワーテルローの会戦もそうです。市内ではなく、原っぱでした。
店の中で喧嘩になったときに、「表に出ろ!」なんてやりますが、あれと同じですね。店でやるとほかに被害を及ぼしますから、関係者だけ外に出て、思う存分戦うというわけです。
ところが太平洋戦争になり、戦争が深刻化してくると、そうも言えなくなってきます。例えば日中戦争では、「便衣兵」という兵隊が登場しました。日本軍に立ち向かうために、中国軍は一般人の服を身にまとい、日本軍を急襲したのです。ゲリラ戦です。
しかしハンセル司令官の高高度爆撃は効果が出ませんでした。そして更迭され、代わって任についたのが、例のルメイです。この人はそれまでの、工場や軍事施設への爆撃から、都市への空襲作戦――無差別爆撃への切り替えを提案した軍人です。低空からの絨毯爆撃を考案したのです。

それは民間人を狙うということでした。効率よく殺裁するために、「木と紙でできた家屋」を効率良く破壊•延焼する専用焼夷弾も開発させました。
ルメイの絨毯爆撃に対しては、米軍内でも「国際法違反じゃないか」という声が上がったそうですが、「日本では民間人も軍需物資を作る」と押し切ったそうです。ルメイの目的は、「いかに多くの日本人を殺裁するか」の一点です。彼にとってはこれが唯一の「正義」でした。
東京大空襲の第一波は、通常爆弾を積んで出撃したB29でした。
これは直接人を殺すことが目的ではなくて、人をおびき寄せる目的でした。通常爆弾は地上に落ちて炸裂すると、大きな音と花火が出ます。火が出ますから、みんな怖がって、爆弾から離れようとします。ルメイはこの第一波によって、山手線の内側に人を集めようとしたわけです。通常爆弾で、そういう誘導をしたのです。
誘導を終えたら、今度は第二波です。山手線の内側に人が逃げてきたときに、人間の頭の上に焼夷弾――これはガソリンのようなものですが、それをまくわけです。そして火をつける。
そうすると、人間の体は可燃物ですから、どんどん燃えて焼死してしまうのです。
わずか一晩に10万人にも上る東京市民が焼死しましたが、ほとんどが非戦闘員でした。このような非戦闘員を殺害するということは、それまでの戦争では許されてはいなかったわけですが、第一次大戦からわずか50年で、非戦闘員を殺してもいいということになってしまったわけです。東京大空襲後の、長崎、広島での原爆投下も、ルメイと同じ「正義」の実行でした。
ルメイは、戦後、アメリカ国内でヒーローとなりました。戦後すぐに空軍中将に昇進し、戦略航空軍団司令官と空軍参謀総長を歴任。最終的には空軍大将になりました。日本でも、「日本の航空自衛隊育成に協力してくれた」という理由で、佐藤栄作内閣が1964年、勲一等旭日大綬章をルメイに授与しています。
米が、「ルメイはヒーローだ」と認めたのです。
そして原爆を落とした飛行機、エノラ・ゲイはその名誉ゆえに、いまでもアメリカのスミソニアン博物館に展示されています。
アメリカの当時の「正義」に照らし合わせれば、原爆投下は戦争終結を早めた、ということになるのでしょう。だから、エノラ・ゲイは記念すべき機体なのです。一般人であるなしにかかわらず、たくさんの人を殺裁することが「是」だったのですから、アメリカ人にとって原爆はその意味でも、「正義」そのものだったようです。
私は原爆に嫌悪感を覚えます。しかし、これが「正義」であった国と時代があったことは、無視してはいけないと思っています。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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