広島や長崎に原爆が投下されたとき、多くの人が「このような残虐な兵器を二度と使うべきではない」と言い、「ノーモアヒロシマ」という言葉を使ったり「原爆許すまじ」という歌を歌ったものです。でも、それからたった50年ほどで、「中国や北朝鮮も持っているから」という理由で原爆を保有するべきだという意見が日本人の間から多く出てきました。
一方、侮年のように日本人がノーベル賞を取るようになって、「日本も一流国になった」という思いがします。でも、もともとノーベル賞を作ったノーベルは、ダイナマイトを発明した科学者です。ダイナマイトによって道路ができたり、資源を掘ることができたり、産業に大きく貢献しましたが、その半面、ダイナマイトは兵器として使われ、多くの兵士が戦場で命を落とすことになりました。
もし人間にもう少し叡智があり、「紛争を解決する手段として人間同士が殺し合うことは止めよう」と決めれば、それで戦争自体もなくなりますし、ましてダイナマイトやウランを使った大量殺裁兵器などを作ることはなかったでしょう。
「紛争を解決する手段として同じ種の中では殺し合いはやめよう」というぐらいのことはオオカミでもサルでも普通にやっていることです。ハーレムを作ったり、縄張りが厳密な動物は、オス同士がその生死を賭けて戦います。戦いに負けたオスは退散しますが、それはメスを獲得することができないというだけではなく、戦いに負けたオス、つまり「はぐれオス」はその後、長寿を保つこともなく、静かに死んでいきます。つまり、戦っているオスにとってみれば「優れた遺伝子を残す」ということより、「負けたら自分の人生は一巻の終わり」ということなのですが、それでもオス同士の戦いで、一方が命を落とすということはほとんどありません。
オオカミのオス同士の争いでも負けた側がお腹を見せれば、それが「降参した」という合図で、勝ったオスが負けたオスのノドを食い破るということはしません。つまり、動物は「無益な戦い」をしないのです。その点で、人間は自身を「万物の霊長」と言い、「正しいとは何か」などと議論する割には、最低の倫理すら守れないことがわかります。「同一種族を殺害する」というのは「本能的なもの」ではなく、頭脳の働きによって本能が破壊された行為と言えるものです。
原爆でも同じで、私たちは広島の原爆で犠牲になった多くの子どもたちの写真を見ると、いわば本能的に原爆が使ってはいけない兵器であることを理解することができます。しかし、「核抑止力」とか「中国も原爆を持っているのだから、日本が持たないと防衛できない」というような「理性で考えなければならない状態」に陥ると、「核兵器を持とう」ということになります。
つまり、「正しいこと」には「利他的な正しさ」と「利己的な正しさ」があり、頭脳を使うと「利己的な正しさを、利他的な正しさとして表現する」ということが可能になることを示しているのです。ここからは3つの原則を見い出せます。
① 科学は人類の福利に貢献しなければならず、科学の発明を兵器として利用してはいけない。
② 生物は詞一種で殺し合うのは自然の法則に反するので、紛争を戦争で解決してはいけない。
③ 理性は「利己的な正しさ」を「利他的な正しさ」に転換できるので、何が正しいかを考えるときに過剰に理性に依存してはいけない。
ここでいう「理性」とはヨーロッパ的な理性のことであり、「還元主義」に基づくものです。
この考え方は、物事を頭脳が論理的に処理できる細かさに分けて、その部分部分で論理を構築していくというプロセスのときに発揮される頭脳の能力を言います。
もうひとつの人間の思考力は「目の前にある物事を細かく分解せずに、全体として捉え、(俯廠的思考)」というもので、やや東洋的な色彩が強いものです。気に判断するヨーロッパの還元的方法で導き出されたものと、東洋的な俯廠的思考に基づくものとでは勝負にならず、還元的方法の勝利になります。最終的にそれが正しいかどうかは別にして、欠陥があり制限的な思考能力しかない人間の脳では、ヨーロッパ的な方法のほうが受け入れやすいということです。
かくして東西対決が激しかった米ソ核兵器競争のときには、全人類を6000回も殺すこと
ができる核弾道ミサイルを作るという絶対に間違っている状態が「個別の正しさ」を積み重ねた結果、生じてしまったのです。
現在でも「戦争で核兵器を使うことはできないが、兵器としては有効。使われることはないだろう」という奇妙な理屈で「核抑止力」という名前で核兵器が増産されています。
の分類とは違うのですが、「還元的正しさ」と「俯廠的正しさ」つまり、これまでの「正しさ」があり、「還元的正しさ」を加えていっても「俯廠的正しさ」には到達しないことが多いのです。
なぜ、「還元的正しさ」が全体としてその論理の「俯廠的正しさ」にならないかというと、欠陥――細かく部分に分けて、ひとつひとつの正しさを検証していくというプロセスの中に、全体の制限条件との整合性を取らないからと考えられます。
自然科学の分野でもニュートンの始めた「還元的方法」が取られ、その典型的なものに自然を細かく区分して、「部分的正しさ」を積み重ねるそこで微分的方法(還元的方法)によってというのがありますが、そのときに「境界条件」があります。
「境界条件」というのは、例えば「最終的結論は核戦争ができないこと」という制限条件です。
そうなると個別の核爆弾が「抑止力」を持っているからと言って、原爆の保有が核戦争の可能性があるとすると、個別の「抑止力」は正しくないというように修正されるのです。
学問の研究が様々な領域にまたがっているという意味を表す「学際」という言葉がもてはやされてから数十年経ますが、自然科学と政治学が融合して、政治学に「境界条件」の概念が持ち込まれると、いま、正しいとされている「抑止力」が間違っているということになると思います。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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