エネルギー・セキュリティーという言い方ばかりが広がってしまい、資源のない日本では不安になって、「資源の安定供給がはかれる」という説明で原発をOKとしてしまう。これがいままでの流れです。でも原発すら、資源の安定供給ははかれません。だって産出国が少ないのですから。もっと言うなら、そもそも、エネルギー・セキュリティーという言い方が「正しくない」のです。
例えば、自動車など工業製品を生産していない石油産出国にとっては、工業製品そのものが、セキュリティーの対象になります。何でもこのとおりで、資源産出国が自国の輸出をストップしてしまえば、そのまま自分の首をしめることになってしまうのです。食料も含めて、世界中が依存しあっている時代において、エネルギーだけで語るのは「正しくない」のです。
「エネルギー・セキュリティー」はよく「食糧自給率」と一緒に話題にされて、「エネルギーと食料の自給率」という表現をしますが、まったく違うものです。
食料は、その国の人が生きていく上で必要なものなので、食糧自給率は100 %という絶対的な目標があります。そうでないと国民が死んでしまうからです。だから、多くの国は、工業より土地の利用効率の悪い農業に、いわば「仕方なく」土地を割り振ります。現代のように世界が工業化された時代には「各国はイヤイヤ農業に土地を分配している」と言えるのです。
ところが資源は、土地の利用効率が抜群に高く、しかも一種の「工業製品」ですから、各国は「経済的理由から資源産業を大切にする」ということになります。簡単に言えば「食糧自給率は生きるため、エネルギー自給率はお金のため」ということができます。
だから、食糧自給率は2、3の国を除いて、100%を大きく超えることはありませんが、エネルギー自給率は数百%という国は多くあります。国内でほとんど石炭を使わないのに、輸出のために石炭を掘るのは普通のことです。
この意味でも食料セキュリティーはあるのですが、エネルギー・セキュリティーはないのです。もし、現在の世界情勢でエネルギー・セキュリティーを言うとしたら、自動車・セキュリティー、テレビ・セキュリティー、シャンプー・セキュリティーなどあらゆる工業製品のセキュリティーを考えなければならないということです。
ここまで現在の日本で大きな話題となり、さらに今後も長く議論されると予想される「節電」や「電気代」を例に取って、「利他的な正しさ」、「利己的な正しさ」、そして普段の生活では「トリックで作られた正しさ」の中で人生を送ることを示してきました。
私たち日本人がぽんやりとイメージしている「正しさ」というのは、周囲との調和を第一に考える「利他的な正しさ」であり、人間社会を平和で楽しく過ごすための正しさなのですが、ヨーロッパの学問は自己中心的な「利己的な正しさ」を「本当の正しさ」として受け入れます。
それと同じように、日本では「トリックで作られた正しさ」を「正しいこと」として認めるという特殊な風士にあります。つまり、自らが事実ではない幻想の空間(この本では後に「空気的事実」と表現するものです)を作り出し、その中で「幻想の空間での正しさ」を正しいとするのです。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というコピーによく示されていますが、目の前の信号は赤なのですが、誰かが「青だ」と言って渡ります。渡っている人は、薄々それがトリックであることを知っているのですが、「黙っていたほうが得になる」ので言い出しません。その意味ではヨーロッパでは学問が大がかりなトリックを掛けるというのに対して、日本ではイメージ的にトリックを掛けるといっても良いでしょう。
そういう状況では「赤信号なのに、赤信号と言わないでそっと渡る」というのが「正しいこと」になりますので、誰かが「青だ」と言うと「事実は正しくない」という逆転現象になるのです。正しいことを言うとバッシングされるというのは、このような状況下で生まれます。これを「空気を読む」、あるいは「空気的事実」とも言います。
ここまでの「正しさ」をまとめてみます。正しさには大きく2つあることがわかりました。
① 周囲との調和をはかる「利他的な正しさ」
(1)4つの基準1神(宗教)、偉人(道徳)、相手(倫理)、法律
② 自己中心的な「利己的な正しさ」
(1)のヨーロッパの学問に基づく詭弁
(2)空気的事実に基づく幻想
それでは、さらに深く進んでいきましょう。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より
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