「正しさ」を大きく分けると、4つあります。

①  神様
自分たちで何が「正しい」か、それが決められないなら、神様に決めてもらおう。これがひとつの代表的な考え方です。イエス・キリストが言った。お釈迦様が言った。あるいは、コーランに書いてある。聖書に書いてある。だから、正しい。愚かな人間が考えたのではなく、神様が考えたのだから、間違っているわけがない、と考えます。その宗教を絶対的に信じている人間にとってはいいのでが、なかなか日本人には理解しがたい。
実際この考え方も、紛争の火種になります。いつの時代も「宗教戦争」は起こっているし、新興宗教を含めれば、これだけ宗教の数がある時代なのです。宗教の数だけ「正しい」があることになりますから、解決にはなりません。

②  偉人
神様ではなく、偉人が決めるという時代もありました。言い方を換えれば「道徳」と言えます。立派な人―――例えば孔子のような人物が、「親に孝行しなさい」とか、「目上を敬いなさい」だとか、こうした教えを説いたのです。そして人々は、それに従いました。
しかし、宗教のような縛りがあるわけではありません。根拠となる「偉人」を知らない人も出てくるでしょう。こうなると、道徳に反発する人間も出てきます。道徳の「正しさ」が揺らいでいるのが、現代とも言えるでしょう。

③  倫理
「倫」という字は、「なかま」とか「ともがら」とも読みます。つまり、自分以外の相手ということです。その「理」屈が、倫理な のですから、字義からすれば、「相手の希望、相手の理屈」ということになります。例えば自動車を作るとしましょう。作る側は、買う 側に、「ブレーキが利く車がいいですか? 利かないほうがいいですか?」と質問をします。買う側(使う側)から見れば、利いたほう がいい。当然ですよね。だから、「利いたほうがいいです」と答えます。
すると、作る側からすると、「ブレーキが利いたほうがいい」という使う側の希望を聞いて作ることになります。使う側が「正しい」と言ったほうに、作る側が合わせるというわけです。簡単に言うと、これが「倫理」ということになります。自分ではなく、他人(社会)に合わせるのです。道徳に似ているようですが、基準が他人にある、ということです。

④  法律
現代社会は、多くの国が法治国家となっています。これは、法律を「正しさ」の基準に置いているということです。日本社会でも、法を犯せば罰せられます。共通のルールを作ることで、お互いの「正しさ」をすり合わせたのです。
では、この4つの「正しさ」があれば、社会は問題なく回っていくかというと、そうではありません。法律ですら万能ではありません。だって、法の抜け道なんて、いくらでもありますからね。罰せられなければ「正しい」のか、といったら、そうではないでしょう。
歴史的に見ても、「正しさ」は、局面、局面で、さまざまな顔を見せてきました。しかし現にいま「正しさ」とは何かを考える必要に迫られているのです。もう、待ってはくれません。ではどうしたらいいでしょう? 答えは出ないかもしれません。しかし、考えることはできます。いまから皆さんと一緒に、「正しさ」とは何か、歴史、立場、科学、男女関係、空気など、さまざまな側面から、これまで当たり前だと思って通り過ぎていた「正しさ」を別の角度から照らしてみよう、と思っています。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より