解決策の第三は「湿帯の島国という日本の自然に素直になって体を使うこと」です。
チャールズ・ダーウィンによると人類は猿から進化したとされています。この進化論の考え方はすでにすっかりと定着して私たちの精神的な構造を構成する重要な要素になっています。さらに一九五三年にはワトソンとクリックが人間の遺伝子を司(つかさど)るの構造を解析し、人間が他の動物と基本的に変わらないことを科学的に証明しました。そのインパクトはダーウィンの進化論と同様に大きく、それが現在の遺伝子工学、クローン人間等につながっています。私たちは自分の体までが「乾いた、サイボーグのような体」と考えがちです。
アメリカ軍が行った実験に面白いものがあります。兵士を数グループに分けて、あるグループは一日中寝かせたまま(臥位(がい))、別のグループは一日中座っている(座位)、そして立っているグループ(立位)に分けます。そしてグループごとに体の変化、尿や血液の分析を行ったのです。多少、 人体実験的ですが、軍隊が作戦を練る上では人間がどのような環境に置かれたときにどうなるのか、戦闘能力が維持できるのかをあらかじめ調査しておかないと極限状態で戦闘するときの作戦が立て られないからです。
その実験の結果、興味深いことがわかりました。立位のグループに所属して一日中立っていた兵士を、ある日を境に臥位のグループに入れます。そうすると約二四時間、つまり一日後には尿中のカルシウム濃度が一気に高くなり、その後臥位を続けている間、尿中のカルシウムは増加したままなのです。そしてその兵士を立位のグループに入れますと、また尿中に流出するカルシウムは減少します。
この実験の結果では、人間は一日三時間程度以上立っていると体が「骨が必要だ」と感じて尿中にカルシウムが逃げるのを防止し、一日三時間以下しか立っていないと、「どうもこの人は骨が要らないらしい」と判断して尿の中にカルシウムを出すらしいのです。
また、座位、つまり座った姿勢は寝ている姿勢(臥位)と同じょうに体はカルシウムが要らないと判断するとも報告されています。
このように人間の体は行動や環境に敏感に反応し、次々と状況を変えていきます。それは生物がギリギリの生活をしていることにもつながっています。
産業革命が一八世紀に花開いた後、それまで人間が自分の筋肉を使って行動してきたものの、多くが蒸気機関やその後に発明された電気モーターで代用されてきました。その結果、人間が活動する中で人間の筋肉が使われる例が少しずつ少なくなり、一九世紀の半ば、一八五〇年には人間の全体の活動のうち、人間の筋肉を使用した活動がわずかに一九%になりました。
その後もオートメーション、自動車の普及などがあり、人間の筋肉活動の「追放」が進み、一九五〇年には人間の筋肉の寄与はたった 〇・九%に過ぎなくなったのです。現代ではそれはほとんど計算できないほど小さくなっていると思われます。自動車に乗ると窓を開けるのにボタン一つで開けられるようになりました。あんなものは手で上げ下げしても何ら苦痛を感じるものではないのですが、知らぬ間に指しか運動をさせてもらえなくなったのです。
また電車の駅や二階建てのスーパーにあるエスカレーターも人間の足の機能を奪うものです。もちろんエスカレーターは足の不自由な人のために設置されたものですが、現在では明らかに足の不自由でない人が使用しています。ときには、急いでいるらしくエスカレーターを走って上っていく若者もいます。エスカレーターによっては「お急ぎの方のために片側を開けて下さい」などと書いてありますが、どういう意味でしょうか?
もし急ぐのなら階段を使えばよいのですし、エスカレーターの機能を使うためにじっとしている人を「邪魔だ」とばかりに怒っている人もいます。変な世の中になったものです。
“Do it Yourself”という店があります。「なんでも自分でやろう」という意味で、これまで家庭のちょっとしたことでも大工さんに頼んだり、既製品を買ってきたりしたことを反省したり、また休日が増えたので日曜大工を拡大しようというものです。この趣旨はまことに結構で、是非、自分のことは自分でということになるのが望ましいと思います。
ところが“Do it Yourself”の店の人に聞いてみますと、最近の売れ筋商品は「電動ドライバー」だというのです。ああ、そうか、最近では男性ばかりでなく、女性が大工仕事をするようになったから、と独り合点をしていましたら、実際には電動ドライバーを使っているのは主に男性だそうです。すでに男性の腕の筋肉はドライバーを使うのもやっかいなほど細く弱くなったのでしょうか? 確かに蒸気機関が発明され、電気モーターが幅を利かせ、最近ではセンサーとアクチュエーターのおかげで電動のドア、窓などに取り囲まれ、今や男性の筋肉はコピーのフタを開けるときだけに使われる、といわれるようになりました。さらに最近は、コピーのフタを開けなくても上に置くだけで原紙を吸い込んでくれるのまで現れています。男性がドライバーを使うのが辛くなったことも頷(うなず)けます。
ともかく、人間の機能、とりわけ男性の身体機能は後退を続け、すでに私たちの上腕筋、かつて獲物を追うために俊敏な移動を可能にした脚力、そして最近ではコンピュータの発達により頭の働きまでも鈍くなってきた感じがします。
人間の機能を代替するものはかならず物質とエネルギーを使います。自動車や電車が物質とエネルギーの塊であることは見ればわかりますが、電動ドライバー一つとっても、その構造が複雑で、製造する過程で多くの「背後霊」を必要としますし、使うときにも電力を使用します。電力を使うということは「電気」そのものだけではなく、電気を生み出す発電所、送電用の電線、送電塔、それを管理する事務所、変電所など多くの施設を使いますから、そこでも膨大な物質とエネルギーが消耗します。
もし自分の腕の力でねじ釘を回せば電動ドライバーは不要になり、大いに環境に貢献することができます。さらに駅に行ってもエスカレーターを使わずに階段を上り、少しの距離ならタクシーに乗らずに歩くようにすれば自分の健康を保持できるだけではなく、ノドは適当に渇くので水を美味しく感じることができますし、うっすらと汗をかきますので、夕方の風呂は格別の楽しみとなるのです。人間は自分の機能を果たすことで快楽を得ることができます。そうでなければ満足が得られないようにDNAがしくんでいるともいえるのです。
環境を守るために「リサイクル」に汗を流すというのは、ほとんど意味がありません 。意味があるのは環境を守るために「生活」に汗を流すということです。リサイクルをしているのに、自動車に乗って自分の足を使わす、電動のドアーを設置して自分の腕の筋肉を使わず、運動不足といっては万歩計をつけたり、ゴルフをしたりしているのと今の環境問題の取り組みは、若干、似たところがあります。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より