ヨーロッパ全体で二四〇〇万トンの消費量に対して、八〇〇万トンも行方不明という中で、さらにリサイクル率がたった二%で、全体の九八%をリサイクルしていないとすると、なぜ「ヨーロッパはリサイクルしている」といえるのでしょうか? どうしてもいいたいのなら比較的リサイクル率の高いドイツに限って「ドイツはリサイクルの先進国だ」というのなら、まだ多少納得できます。
「ドイツ」と「ヨーロッパ」は全く違うのです。
もし、このような誤解を基礎として政策を決定すると、世界では日本とドイッだけがリサイクルに熱心ということになります。アメリカはもともとそれほどリサイクルに熱心ではありませんし、アジアの諸国、インド、中東、アフリカ、ロシアなどもほとんど進めていません。ヨーロッパでもドイツやデンマークなどの一部の国でリサイクルを進めているにすぎないのです。
もし、日本の専門家が「ドイツ」を「ヨーロッパ」と置き換え、さらに「ヨーロッパ」をときとして「外国」と読み替えることで国民が錯覚するとします。
そして、日本では毒物の入ったものを社会で大量に循環し、主婦は疲れた体にむち打って分別ゴミにするために大量の洗剤を使って容器を洗い、家には分別ゴミの箱が並ぶという笑えないことになるかもしれません。ある程度の期間にわたって日本が本格的にリサイクルをしたときに障害が出たとします。そのときに「もしリサイクルで障害が出るのなら、リサイクル先進国のヨーロッパはどうか?」と調べてみたら、もともとヨーロッパはリサイクルをしていないということがわかったというようなことも起こりかねません。
それでもヨーロッパがリサイクル社会であると判断した環境に興味のある人が悪意でいったとも思えません。確かにドイツなどでは立派なリサイクル工場が動いていて、それを素人が見るとすごいものだからです。その人は環境には興味があっても、それまで日本の製造工場を見た経験などなければ数万トンの工場は巨大に見えるでしょう。二四〇〇万トンのうち、リサイクル率がわずか二%といっても約五〇万トンになります。一日一〇〇トンの処理工場でも素人には巨大に見えます。
特にドイツのリサイクル工場に行ってそこの人に元気のよい話を聞けば、感心してしまうでしょう。
ドイツのリサイクル工場に行って日本に帰ってくるだけでも、人情としてはつい「ドイツは素晴らしい」といいたくなります。まして公的なお金を使ってわざわざドイツまで行って、ときにはそこでビールをいただいたりしたら心情的にはわかります。現実にもドイツのリサイクルの感想を述べている人のかなりが製造業を経験していない人であることも事実です。そしてョーロッパはドイツなど数力国だけと錯覚します。
数十年前、すでに日本が戦後の混乱期から立ち直り、近代的な生活を送っている頃、ヨーロッパのテレビに「日本はフジヤマとゲイシャ」と紹介されているのを見て、憤慨したものです。そしてその当時ョーロッパの人に会うと本当にそう思っていた人もいたのです。著者の経験ではあるスイスのご婦人にお会いしたら、盛んに「優しい人だ」といわれました。その訳を聞きますと、日本人は真珠湾攻撃でアメリカの太平洋艦隊を撃滅し、沖縄では特攻隊が活躍した。日本人は目尻のつり上がった怖い民族だと思っていたというのです。
それと同じで、その国の一部を見て全体を判断しようとすることは普通に見られることです。日本に来て大相撲だけ見た人が日本人は正式なところでは裸でちょんまげを結っていると報告するかもしれません。「フジヤマとゲイシャ」というのはそのような状態だったのです。そして、現在のリサイクルに関しても、日本はヨーロッパのフジヤマとゲイシャを見ているような感じがします。
「紙を使うと熱帯雨林が消滅する」という間違ったことが長い間、日本の常識になっていたのもそれに近いものがあります。世界の森林面積は三五億ヘククールありますから、そのうち、荒れた森林や崩壊寸前の森を探そうとすればたくさんあります。それがどんなに 一部でも、それだけを報道されればそう思うのが人情です。テレビで繰り返し熱帯雨林が消滅するという画面が流れ、次に紙のリサイクルを報道されればそれだけで錯覚します。
ヨーロッパのゴミの錯覚は、専門家の倫理という側面と、誰が専門家なのかという側面とがあります。専門家の倫理については次の節で本格的にまとめましたので、ここでは「誰が専門家なのか?」について整理したいと思います。
ある一人の人を思い浮かべます。その人はこれまで日本の町で真面目に働いてきました。あるときに環境問題に目覚め、それ以来、さまざまな環境を守る運動や仕事をしてきました。そして環境問題に対しての高い見識を買われてドイツに視察に行ったとします。その人は正確にドイツのリサイクル状況を判断できるでしょうか? その人は善意に満ちた真面目な人です。しかし、材料工学も分離工学も、また自分でプラントを設計したり運転したりしたこともありません。またヨーロッパにはそれまでは観光に数回訪れただけということです。
ドイツは政治的にも難しい国で、環境問題が単に環境として純粋に扱われていない部分もあります。工学的に、プラント的に、そして政治的に判断できることが専門家として大切です。「素人の感覚」というのは大事ですが、それは感覚として感想を述べるに止まり、それを他人の判断の材料にするときにはよほど気をつけなければなりません。他人はその人を「専門家」として見て、その人のいっていることを信じることがあるからです。もし、その人がそうなら次の節の倫理を守ることができなければなりませんし、もしそうでなければ、たとえ感想でも発言するのは不適当なのです。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より