著者は八年ほど前に大学に移り、そこで材料工学の研究を始めました。そのとき、研究関係ではリサイクルの全盛時代で、研究計画で「リサイクルの研究」というと研究費を獲得できるような雰囲気でした。
しかし、本当にリサイクルが環境に良いのか? 将来の日本の工学の方向なのか?
と考え、材料の実験を進めながらリサイクルの調査を行ってきました。
三年ほど前リサイクルは環境に良くないという結論が出ましたが、その結論が間違っていないか、いろいろな研究会や学会、委員会で質問をしてきました。その過程で「私はこういう理由でリサイクルは環境に良くないと考えるが、先生はいかがか?」という質問に答えられた方はおられませんでした。確かにリサイクルに確固たる信念とデークをお持ちの先生もおられるでしょう。しかし、リサイクルを研究したり、それを業務としている人の多くが、「リサイクルは環境に良い。その理由は……」と説明してくれなかったことは事実です。
一九九九年には質問を変えました。
「私がこれから質問するのは、政治的な関係や法律ではありません。学問的なことですから、その視点でお答え下さい」と前置きをすることにしたのです。
それまで質問すると「リサイクルをすることになっているから」「法律で決まっているから」「そのような本質的なことは考えたことがない。私たちはリサイクルに対応するだけで精一杯」というような答えが多かったからです。
特に有毒廃棄物の越境禁止を定めたバーゼル条約については、この傾向が顕著でした。「貴社は東南アジアでテレビを製造しておられる。そして同時に国内でリサイクル工場を計画している。全体のつじつまは合うのですか?」という質問に対して、返ってきた答えは「現在、家電リサイクル法案に対する対策で手一杯で、そんな国際貿易を考えることもできません」というものでした。
専門家がそういう状態だったので、地方自治体はとても困っていると思われました。ある自治体ではゴミを分別していたり、隣の自治体は分別しないなどということはよく見られます。自治体はダイオキシン問題で焼却が難しくなり、ゴミの貯蔵所は満杯になり、それでも市民からは毎日のように ゴミが出るという状態で呻吟(しんぎん)していたようです。「自分のも のは自分で始末する」ということだけで、苦しんでいる市があるようでした。
「ゴミ戦争」は今に始まったことではありません。杉並区民のエゴが非難され、インテリの身勝手といわれた江東区対杉並区のゴミ戦争、千葉県と青森県のゴミ騒動など多くの問題を抱えています。このような問題を「自治体や政府の責任」ということもありますが、著者はそうは思いません。環境問題は難しい問題で、自治体が独自に考えて結論を出せるような課題ではないのです。また「ゴミ」が廃棄物の間は「ゴミの専門家」がある程度取り扱えますが、「ゴミ」を「資源」とみて利用することになると「資源分離工学」の分野になりますし、「ゴミ」を「焼却」してガスに変えるということになりますと、これは化学プラントですから「化学工学」の分野になります。
それまでの廃棄物が廃棄物でなくなり、資源としようとしているのに、さまざまな決定に参加した人たちのほとんどがゴミを扱う専門家であったということも問題の解決を遅らせた原因であると感じます。
さらに、リサイクルの熱が上がるにつれて「循環型社会」、あるいは「静脈産業論」などが登場してきました。循環についての学問はかなり難しく、短い説明では十分に意を尽くせませんが、循環型社会について簡単に触れます。
「これまでの社会は使い捨ての社会だった。考えてみれば、天然資源は限られているし、使ったものをそのまま捨てればゴミになる。私たちの将来は使ったものを循環して使うこと、つまり循環型社会でなければならない。そしてそのためには現在の産業を『動脈産業』と位置づけ、それに対して使ったものをリサイクルする『静脈産業』を育成する必要がある」というのが循環型社会をめざす思想の基礎になっています。
この意見は一応もっともなところがあります。資源は有限ですし、廃棄物貯蔵所は満杯です。それでも私たちはものを使うことをやめるわけにはいきません。そうなると、「循環型社会」しかないのではないか、と考えるのが人情ではあります。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
