リサイクルを進めるにあたって、最近盛んに「分別」が叫ばれています。特に、「分別すれば資源」といわれています。それをきっかけにさらに運動が盛り上がっています。本当に分別は環境に良いのでしょうか、また本当に「分ければ資源」なのでしょうか?
現在、私たちの社会で使っているものは、材料に注目して大きく分ければ「生ゴミ」「紙類」「プラスチック」「金属類」「ガラス・陶器など」などですが、形や生活の中の分類にしたがえば、「家電製品」「自動車」「家具」「布団」「食器」「コップ」「ボトル」などになります。本当は材料別に分別するのがよいのですが、それではわかりにくいので、自治体などは「ペットボトル」「牛乳パック」「アルミ缶」「家電製品」などの区分で分別を行っています。
ゴミ問題の最初は焼却に注意がいっていましたから、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」という分類がされました。今でもこの分類で廃棄物処理を行っている自治体も多いのですが、日本語としては
「燃やすゴミ」「燃やさないゴミ」といった方がよいでしょう。
しかし、それではゴミを資源として利用しにくいということで、鉄とアルミニウム、銅、そして繊維とプラスチック、ゴム程度は分けよう、ということになり、現在の分別が始まりました。
しかし、分別によってゴミを資源にすることはできません。
まず第一に「材料工学の原理」。つまり使ったものは劣化するということが、分別によってより鮮明になります。
たとえば、「繊維」という分別の種類をもうけ、家庭で出る繊維屑を集めて分別回収するとします。しかし、回収された繊維はおおかたはポロボロです。その中にはかなりよい繊維も含まれていますが、ポロボロの繊維と新品同様の繊維をあらかじめ消費者の段階で「分別」することはできません。
一方、メーカーに持ち込まれたリサイクル繊維である製品を作るときに、「新品同様の繊維」と「十分に使った繊維」を見分けられないので、製品の設計に当たっては「リサイクルされた繊維のうち、一番弱いものを基準にして作る」ことになります。
昔、着物を繰り返し使うときでも、すっかり疲れた布を新しい着物に使うことはしません。雑巾などに使って最後に捨ててしまいます。そして新しい布と古い布を家庭でわざわざ混ぜて悪い布にすることもありません。昔のリサイクルは素性のわかった範囲で行われていましたので、その布の状態にあわせてリサイクルをしていました。しかし、現代のリサイクルは社会規模で行われるので、素性がわからないという欠点があります。国民的レベルで繊維を分別しても再利用できないということになります。
現代社会に流通している「製品」というものは案外キチンと甚準が決まっていて、粗悪品はそれほどありません。もし、新しい繊維とポロボロに弱くなった繊維を混合して衣服を作ると、その衣服は強いところが破れるのではなく、弱いところが破れ、そのような製品は信用を失って売れなくなります。
特に、日本は非常に品質の良い商品が売られているという点で世界でも誇れる国で、それが私たちの生活を豊かにしています。
よく、「どこの国に行ったらいつもファックスが壊れて使えない」とか「どこの国に行ったらホテルのシャワーはいつも壊れていた」という話があります。そんな社会より、日本のようにいつも快適な故障のない国に住みたいものです。そして、そのこと自体は日本が誇るべき製造技術、品質管理技術です。そのような恵まれた環境の中にいる私たちは、衣服の中に容易に糸切れを起こすものを許しません。リサイクルが本格的に進んできたり、分別が進むと日本も故障の多い国になる可能性があります。
ゴミの分別がはじまって、繊維を一所懸命に分別している人にとても同情します。その人にとって、また社会にとって意義のあるものなら、人間はどんな苦労も苦労になりませんが、誠意をもって行う行為が報われないときほど酷いことはありません。
分別というものがさまざまな問題点を持っていることがすでにわかっているのですから、それを多くの人にやらせているのは問題です。

『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より