リサイクルを進めるには材料を統一するべきであるという考え方があります。
材料の統一には二つの意味があります。その一つは同じ製品で使う材料はできるだけ同じ材料を使うということ。もう一つは大量に生産させる製品の場合にはメーカーが違っても同じ場所には同じ材料を使うということです。最初の例ではたとえば、オートバイに使うプラ スチック材料をABSという樹脂に統一することなどですし、また第二番目の例としては自動車のバンパーが代表的です。オートバイの例ですと、少しの不便があってもオートバイに使う材料をABSに統一しておけば、オートバイをリサイクルするときにどの部分がどの樹脂と考えたり、分別したりしなくてもよいということです。また自動車のバンパーの例ですと、さまざまな材料でできたバンパーがあるとリサイクルしてもいちいち分類しなければならず、とても大変ですし、まして自動車のメーカーごとに材料が違うと下取りで自動車を買い取ってもその処置に困ります。バンパー材料が統一できればということで、自動車メーカーが工夫し、最近ではポリプロビレンという材料に統一する動きが活発です。
ABSの場合は二つの理由でうまくいきません。
一つは、ABSは優れた材料ですが、テレビのキャビネットに使用するポリスチレンのように熱や光で劣化しやすいので、熱がかかるところが最初に劣化します。それを全部回収すると劣化したものが入ります。第二の理由はABSはゴムとマトリックスと呼ばれる樹脂の部分が強固な化学結合をしてその強度を持たせるようにしてあります。
それによってあのきれいな強いプラスチックになっているのです。もし、材料を統一しようとしたら、どこでも使えるような極めて複雑な組成と合成方法となります。
これに対して、ボリプロピレンは石油から比較的簡単にできるプラスチックで立体規則性があり、構造が単純で、優れた性質の材料を作れるという点からも、環境負荷が少ないのでよい材料です。
この材料を自動車のバンパーに使うのは材料選択としては正しいことだと思います。そして自動車の多くは新しい自動車を買い換えるときに、古い自動車はディーラーに引き取ってもらいますから、そのときにリサイクルに回すことができます。その点でもリサイクルに有利なケースといえます。
それでも自動車のバンパーのリサイクルはうまくいっていません。費用がかかるからというのではなく、やはり無意味なのです。
この世の中の多種多様の製品の中に使われている材料は千差万別です。その種類は数万ではききません。どうしてそんなに材料が多いかというと、それは「材料は目的があって使用されるから」といえます。自動車のバンパーでは、「毎時一五マイルで衝突しても凹むだけで運転者にはケガがないほどの防御ができること」等の要求があります。昔のバンパーは「車体を守る」程度のものでしたが、時代の進歩によって、バンパーは運転者や乗っている人の命を守るものと考えられるようになりました。それは大きな進歩であり、バンパーは衝突のエネルギーを最大限に吸収してくれなければなりません。そのためには材料がその機能を持っている必要があります。
バケツの例で示したように、買ったばかりのバケツは柔軟性に富んでいますが、一年間も外に置いておくと劣化します。バンバーに使用されているポリプロビレンは比較的光や熱に強いものですが、それでも劣化します。そして劣化したプラスチックは衝撃吸収には役立たないのです。自動車の使い方は過酷で、屋外を走りますし、灼熱の太陽の下でも、雪の中でも使われます。そして振動と絶え間ない力がかかり材料としてはとても辛い環境です。バンパーが劣化するのはやむを得ません。
しかし、どうしてもリサイクルしたいという人がいるようで、その試みを行っているところがあり、特にアメリカでは相当大きな会社が取り組んでいます。しかし、うまくいきません。バンパーとしての性能を維持するために「包み込み成形」といって古いバンパーの材料を新しい材料で包んでリサイクルバンパーを製造したりしています。しかし、この場合も石油から新しく作られるバンパーの方が性能がよく、しかも環境負荷も少ないのです。バンパーはリサイクルするために車の前に置かれているのではなく、もちろん人の命を守るためです。リサイクルしてポロボロになったバンパーを使っているよりも、リサイクルをやめてバンパーは焼却した方が人命にも環境にも良いのです。
石油から作る新しいバンパーの方が石油の使用量が少ないのに、なぜ、リサイクル・バンパーを使おうとするのでしょうか?
バンパーの例でわかるように、材料は「適材適所」なのです。もともと「適材」という言葉自体が材料のために作られた言葉であり、その通り材料は適所に使わなければなりません。冷蔵庫は温度が低く、油で汚れます。特に温度が低いところはそれに適した材料を使い、油がかかるところは油に強い材料を使うのが適切で、それによって材料の寿命を延ばし、結局は環境に適した結果になります。
テレビのプラウン管が複雑な組成のガラスでできているのは最初のところで紹介しましたが、もちろんプラウン管の前面はテレビがよく見えるために使われるものですし、側面から細い部分は放射線を防がなければなりません。材料を統一しようといってもそれは人間の希望であって、現実的には無理なのです。
環境問題が浮上するにつれて「材料を統一しよう」という機運が材料メーカーの方からもあがりました。環境に良いことなので消費者もそれに同調し、材料統一運動が起こりました。メーカーはそれほど作戦的にこの運動を起こしたのではないと思いますが、材料を統一するというのは製造コストを下げ、生産効率をあげるという意味でメーカーにとっても望ましいことなのです。高度成長期以来、日本の企業は激しい競争をしてきました。その結果、無意味とも思われるほどに材料の種類が増えメーカー自身も困っていたのです。そこに「環境のために材料を統一しよう」という機運が生まれたのですから、メーカーにとってはありがたい話だったのです。コストは下げられるし環境に協力する姿勢がとれるからです。メーカーが積極的であったのはいうまでもありません。
その結果、無意味なほどに数の多かった材料は少し整理されました。それはそれでよかったのですが、「材料を統一すればリサイクルできる」「材料を統一すれば環境が良くなる」ということはありません。それは別の問題なのです。また、おそらく材料を統一するということは生産効率の向上に役立つので、メーカーの生産量は増えるかもしれません。そうなると材料の統一が結果的に環境を汚すこともあるのです。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より