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帳簿をつけかえてゴミを減らす

リサイクルはゴミを増やすという著者の話を聞いて、「確かに、そういわれればわかるような気がするが、現実に最初のドイツの例や、自分の自治体でもリサイクルによってゴミが減ったのは確かだ」
との疑問を持つ人もいます。
この疑問はかなり複雑な内容を持っています。
ゴミが減ったように見えるまず第一の理由は、目の前にあるゴミ箱にゴミを捨てるのをやめてリサイクルの箱に入れれば、ゴミ箱にあるゴミはそれだけ減るからということはすでに示しました。「ゴミ箱」だけを見ればリサイクルで確実にゴミが減ります。
第二に、自分の会社やある地方自治体だけに注目しますと、従来、ゴミとして出していた廃棄物を分別して「リサイクルが期待できるもの」としてリサイクルに回し、自分の会社やその自治体の外にあるリサイクル工場まで運搬すれば、「自分の会社や自治体のゴミはリサイクルすれば減る」ということになります。つまり、ゴミをある会社や地方自治体から別の場所に移すことによって一時的にゴミが減少した計算になります。
しかし、それは「ゴミを他の場所に移した」に過ぎませんから、日本全体としてはゴミは減っていないのです。一種の「ゴミ帳簿のつけかえ」ともいえるのです。
こんなことのために私たちはリサイクルをしているのではありません。
似たような話に、工場内のゴミを「リサイクル品」や「再生可能なもの」と称して下請けに「販売し」、その結果「ゴミゼロ工場」を自認するところもあります。
このような「ゴミゼロ工場」の中にはその言葉を信用して、環境のために本当に「ゴミゼロ」をめざして目標を立てたけれども、途中でそれは無理であることがわかったが、引っ込みがつかないので下請けにゴミを出す、という例もあります。この場合はその会社に悪意はなく、むしろ、リサイクルを信じて汗を流している私たち消費者と同じように本当に「ゴミゼロ」が可能と信じた結果なのです。
環境を守ることが本当によいことであれば、別に「ゴミゼロ」を会社の宣伝にしたりせずに、ひっそりとやればよいのです。それなら引っ込みがつかなくなることもありません。本当はゴミゼロではなかったり、本気でゴミゼロをめざしていないのに、「我が社はゴミゼロをめざしている。つまり環境に留意している会社である」というイメージを作り、それで販売量を増やそうとしているのです。環境を守るということと販売量を増やすことは相反する目的になることが多いのですから、このような行為は社会的に糾弾されるべきことかもしれません。
リサイクルによってゴミが減ったと見える第三の方法は、家庭から出るゴミをリサイクル品としてリサイクル工場に回し、リサイクル工場の回収工程からゴミとして排出することです。これによってゴミは「一般廃棄物」から「産業廃棄物」となり、一般廃棄物としてのゴミは減少するという別の形の「ゴミ帳簿のつけかえ」が完了するのです。
この三つの理由のうち、最初の二つはあまり解説を要さないでしょう。ゴミをリサイクルに回せば目の前のゴミは見かけ上減るのは当然ですし、自分の会社のゴミを「リサイクル品」として下請けに出せば「ゴミゼロ事業所」になるからです。しかし、三番目はかなり手口がこんでいます。
日本でもヨーロッパでも、ゴミはその出るところによって区別して分類され、処理され、集計されます。そのうち、家庭から出るものはいわゆる「一般ゴミ」や「一般廃棄物」と呼ばれるもので、日本全体で約五〇〇〇万トンあります。これに対して産業活動から排出されるゴミ、いわゆる「産業廃棄物」はその一〇倍程度の四・五億トンも出ます。産業廃棄物が多いのは、飼育している動物の糞尿やビルを壊したときのコンクリートなどの建設廃材や建築現場からの汚泥など、一種類で膨大なものを含むからです。
「ゴミ処理業」としての「一般廃棄物業者」と「産業廃棄物業者」は分離されています。そしてそれぞれが担当するゴミを処理しています。その意味ではしっかりと区分されていますが、肝心のゴミ」の方は分類が明確ではありません。
使い終わったペットポトルは「一般廃棄物」で、コンクリート塊は「産業廃棄物」と決まっている訳ではなく、家庭から出れば「一般」、事業所から出ても食堂から出れば「一般」ですが、製造工程から出れば「産廃」となるのです。つまりゴミの分類はそのゴミの性質や物質によって分類されているのではなく、ゴミの出方で分類されているのです。
このような分類は「もの」で分けずに「ゴミになる過程」で分ける方法で、それ自体が不適切であるともいえないでしょう。しかし……。
ある人が一計を案じて、
①庭から出るゴミをリサイクル品と称してリサイクル工場へ回し、
②そこでゴミとして出す、
という二段構えでゴミを出せば、そのゴミは膨大な産業廃棄物の中に混じるので目立たないですむということに気がついた瞬間、おかしくなりました。このようなことは、およそ環境を守る精神とは関係ないことですし、手がこんでいるだけに面倒な作業です。それでも「環境というものの成績を上げるため」になりふり構わずこんなことをしているのです。
「何のためにこんなことをしているの?」と聞きたいくらい不思議です。それは、「我が社は環境に配慮している。だから製品を多く買って欲しい」「リサイクル率の目標値を決めてしまったから、達成しないと怒られる」「威勢よく『ゴミゼロ』を宣言してしまったから、引っ込みがつかない」などの理由なのです。
環境を守るために日夜リサイクルに汗を流している人は、そのうちこのような統計のマジックの現実を知ることになるでしょう。良心的な人ほど「何のためのゴミ減量か?」と疑問を持つと思います。
さらに、リサイクルに苦労している人はときどき別の悲しい現実に出くわします。
せっかく家庭で一所懸命分別して洗い、それをスーパーに持ち込んでリサイクルに出しても、スーパーはもともと分別してリサイクルしようとは思っていないときもあります。それでも見かけは「環境を重んじているスーパー」の印象が欲しいものですから、ときにはお客さんからリサイクル品を受け取ると、それは商売の上だけのことで、スーパーの裏に持っていってまとめて捨てていることがあります。また、「分別しなさい」と指導されるので分別して捨てていたら、「まだ分別回収のシステムが間に合っていない」という理由で自治体がまとめて焼却しているのに遭遇することもあります。
もともと、リサイクルは環境に良くないのでリサイクルしないほうがよいのですが、もしリサイクルが環境に良いものであったとしても、「環境に良いことなら人の誠意を裏切ってもよい」という姿勢には賛成できません。分別したものを再び混ぜて焼却しなければならないのなら、それを正直にいった方がよいと思います。
日本はリサイクルによって、毒物に汚染された汚染列島になる危険性があるばかりでなく、リサイクルによって人の心が荒廃し、トリックを使うような「心の汚染列島」にまでなってしまうような気がします。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より

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