リサイクル社会のようなある循環系においては、活動によって毒物や不純物が蓄積する。そこで毒物や不純物の濃度を一定のレベルに保つためには、
① 循環内に毒物や不純物を除くシステムを持つこと
② それでも完全に除きにくいものは外部に放出する
ことが必要です。
もし、循環系内に毒物や不純物の除去システムを持っていなければ、毒物のレベルはすぐ上がるので、体内の循環回数が著しく減少します。そうすると循環系内にどんどん新しい水や血液、物質を入れなければならず、同時にその分だけ排泄することになります。これに対して毒物の除去装置を持っていれば、循環回数は増え、新しいものを入れなくてもよくなります。
人体の血液循環の量的な関係を体重六〇キログラムの人を基準にもう一度まとめますと、総循環量の全体が毎分一〇リットル。そのうち脳、筋肉、皮膚、骨などの活動をするために供給される血液が二・五リットル、肺、肝臓、そして腎臓などの「廃液処理班」の血液循環が七・五リットルです。つまり、人間はその活動を維持するために、動脈側の流れの量の三倍の量を静脈に流し、活動の結果生じた毒物や、二酸化炭素を除去しているのです。
生物がこのような浄化システムと循環比率を保っているのは、それが活動をするものの「循環系」の最も効率的な状態だからでしょう。また生物ばかりでなく、人間が作りだし、活動をしている化学プラントのような製造装置も、「製造」に使われる機器よりも「回収」に利用される機器の方が数も多く、回収系の方がやっかいであるということも経験によってわかっています。これも、長年の人間の知恵の結果といえます。
これに対して、現在実施されつつある日本のリサイクル系はどうでしょうか。まずリサイクル系の中に毒物除去システムが考えられていません。たとえば、新品の家電製品の中にはヒ素、塩素系化合物や鉛が入っていますし、使い終わった家電製品には若干ながら環境ホルモン系の毒物が発生したり、リサイクルのときに他のものから混入したりします。それらの毒物をリサイクル系の中のどこで除外していくのか、解毒する方法はどうするのか、それが蓄積してきたことをどういう方法で分析するのか、まだ全くといってもよいほど準備されていません。もちろんこのようなリサイクル毒物の蓄積の問題は家電製品ばかりではなく、ほとんどすべてのリサイクル系統に存在するといってよいでしょう。
そして第二の問題は、先に説明したように実際に毒物の検出をしようとしても、リサイクル系の中の毒物の検出が難しいことです。人間の場合には肝臓や腎臓の機能が落ちて、血液中に老廃物が蓄積すると黄疸になったり尿毒症に陥ったりします。これは一種の検出機構であり、それによって人間は休憩したり、症状がひどいときには入院しなければなりません。しかし、人間の社会ではリサイクル品の中の毒物の検出が科学的には難しいことから、おそらくリサイクルによって社会にある程度の毒物が蓄積されたところで、そこに住んでいる人の中で一番弱い人が毒物の菩積で障害を起こし、あるいは犠牲になるまで分からないと思います。
すでに地球環境という意味では、「一番弱いものが最初の犠牲者になる」ということは証明されています。
レイチェル・カーソンは一九六二年に『沈黙の春」を書きました。彼女はペンシルベニア女子大学を出てバルチモア大学とジョン・ホプキンズ大学で修士の学位をとり、野生動物の観察をしていました。当時は環境汚染という概念自体がそれほど一般的ではなかったので、彼女も最初から環境問題を研究しようとしたわけではなかったのですが、野生動物の観察を続けているうちに、変なことに気がついたのです。
ある種の動物に明らかに昔からの観測と違う結果が得られたのです。そしてその違いが人間が排出する環境破壊物質にあること、それによって自然界の動物のうち、弱いもの、それらの物質に感度の高い動物が選択的に被害を受けている実態を捉えたのです。
当時のアメリカはまだ大量生産、大量消費のまっただ中にありました。世界全体が「重厚長大」の世界から「軽薄短小」に移る折れ点となる年がちょうど彼女が『沈黙の春』を書いた一九六二年でしたから、そのとき大量生産が悪いなどと誰も思ってはいませんでした。そこで、アメリカの多くの産業界の男性は、「彼女のいっていることはとんでもないことだ。第一、ヒステリックだ」と非難をしたのです。それは「レイチェル・カーソンのいっていることは学問的でも、合理的でもない」といっているのではなく、「彼女のいっていることは私にとって都合の悪いことだ。私にとって都合の悪いことは間違っているのだ」といっていたに過ぎないのです。いつも人間は自分の利害を中心にものを考えがちです。
もちろん、ときはいつでも真実に味方しますからレイチェル・ カーソンの見解は次第に認められ、現代の環境時代の幕開けの著書として尊敬を勝ち得ているのです。このレイチェル・カーソンの話は、人間がその立場を離れて対象物を正しく捉えることの難しさを示しています。
ともかく、人間社会においてもリサイクルによる毒物の蓄積は進むでしょう。そしてそのような状態のままでリサイクルが実施されれば、この美しい国土が「リサイクル汚染列島」に変貌するのですからとても怖いことです。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より