毒物がしみ込んだ冷蔵庫はリサイクル工場へ運ばれ、そのポケットは工場で取り外されます。本当はあまり再利用する価値のないものかもしれませんが、家電リサイクル法が施行され「リサイクル率の目標」が設定されていることもあり、何とかリサイクルしようと工夫するでしょう。
冷蔵庫からボケットの部分を取り出し、洗剤できれいに洗って、再び成形しますが、すでに材料は傷んでいますので、冷蔵庫には使えません。そこで、きれいなバケツに成形して生まれ変わります。毒がしみ込んだ冷蔵庫の材料から作られたバケツはスーパーの店頭に「リサイクル品」として並びました。
さて、子供のために環境を守りたいと思い、そのためにリサイクルを信じ、リサイクル品を好んで使っているある母親が「リサイクル製品」と書かれたそのバケツをスーパーで買い、家に帰ります。
夏の暑い盛りだったので、そのお母さんはそのバケツにきれいな水を入れて子供に水遊びをさせたかったのです。お母さんは家に帰ると早速そのバケツを取りだして、庭で水を入れ、子供に水遊びをさせました。
お母さんはそのバケツの中に毒物が入っていることなど夢にも思ってはいません。まして、実はバケツに使われた材料が、ある大学の実験室で毒物を入れて使っていた冷蔵庫からリサイクルされてできたものであるなど想像もつきません。ただ、「リサイクル品」という表示を見て、環境に優しい商品だと信じて買ってきただけなのです。そのお母さんにはきれいに見えましたが、買ったばかりのバケツでもあるので、それをよく洗い、水道の水を入れたのです。
もし、お母さんがそのリサイクル品に毒物が含まれていることを知ったら、「子供に可哀相なことをした」と悔やむに違いありません。
人間はものを使うときに必ずしもきれいに使うとは限りません。この例のように冷蔵庫に毒物を入れることもあるし、それをこぼすこともあります。毒物をこぼしたらきれいにふき取らなければならないとわかっていても、しらないうちに瓶が割れて毒物がしみ出すこともあります。また冷蔵庫の奥の方に入り込んでしまったものがわからなくなることもしばしばです。捨てるときに冷蔵庫の中が空(から)であることを確認するにしても、何万台とある冷蔵庫の中には小さな瓶や袋が冷蔵庫の片隅に隠れていることもあるでしょう。
法律で指定されているような毒物ではなくても、使っているうちに腐敗したもの、分解したもの、焦げたものなどいろいろなものが冷蔵庫に貯まることも考えられますし、世間にはいろいろな人がさまざまな使い方をしているものです。当たり前のことですが、人間は「自分が買ったものだから自由に使う」と考えるのが自然です。
もちろん、このようなことは冷蔵庫ばかりではありません。プラスチックでできたきれいな小さな整理ダンスも使ううちに次第に汚くなります。整理ダンスは家庭で使われる場合が多いでしょうが、工場で小さな毒物の保管に用いられることもあるでしょう。そういうものが「リサイクル品」として回収され、水で洗浄される程度で再生されます。
仮にその毒物が発ガン物質やダイオキシンであるとします。多くの発ガン物質やダイオキシンは水に溶けませんし、プラスチックに混じりやすいものが多いので、もし発ガン物質を溶かした溶剤がこぼれたらそのままプラスチックにしみ込んでしまいます。そして水と洗剤を使った洗浄でも、プラスチックにしみ込んだ毒物は除去することはできません。表面についているものは多少除去できるでしょうが、しみ込んだものは絶望的です。
次に、洗浄されたプラスチックは乾燥して粉砕され、ペレットという小さな破砕した球状の粒になり、押出機や射出成型機を使用して成形され、再び形をもった商品になります。このときの温度は二〇〇度Cから三〇〇度Cです。現在工業的に使われているプラスチックで三〇〇度C以上で成形されるものはほとんどありません。
一方、大部分の発ガン物質や環境ホルモンは二〇〇度Cから三〇〇度Cという温度ではほとんど分解されません。結局、使い終わったプラスチックにしみ込んだ毒物は洗っても除去できず、成形の過程でも分解されず、リサイクル商品の中に入ったまま販売されることになるのです。
こうして、リサイクル品の中に毒物が入ってくる過程を追っていきますと、誰かに悪意があるわけでもなく、むしろ市民は善意で使ったものをリサイクルに出し、それをリサイクル工場では苦労して成形し、バケツを買ったお母さんも「リサイクル品は環境に良いから少し高くても買おう」と思って使うのです。子供もお母さんを信じて無心に「毒入りバケツ」の水を使って遊んでいます。
すべての善意がこんな皮肉な結果を生むのです。

『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より