電話の向こうで編集長が号泣していた。しばらくしてようやく意味を得た。
主幹(社主)内田憲一氏が急逝されたというのだ。一週間前に本書の原稿を読んだ氏は電話で私にこう言った。
「この本は日本人に必要な本です。出しましょうよ」
日本人に必要などと、氏にしては誇大な表現だなと私は少し奇異に感じたものだった。
一時間くらい話したと思う。あれが別れの電話になろうとは知るよしもなかった。氏は病を得て入院の後通院のかたわら社に通っていると、私に語った。病状を聞く私に、逆に私の怪我の治癒経過を心配してくれたものだった。「読むのが遅れてすまなかった」と言い、さきほどの言葉が続いた。
前の本は日露戦争で終わっていて、これはその続きなのだから「続・日本人が……」にしましょうよと氏は言った。三年前に上梓した拙書は、原稿が偶然に氏の目に触れて朱鳥社から出たが、氏とのご縁がなければ他社から出ることになっていた。四谷の宿で氏と初めて会ったとき、互いに郷里が福岡であると知り「他生の縁」と笑い合ったものだった。
氏は東大入試が「紛争」で中止になったとき京大に入学されている。全共闘とはもろに
青春を共にされているわけだ。私がフランクフルト学派やマルクーゼたちの奸智を言うと、遠くを見るように視線を浮かして「そうだったのか」と眩いた。「戦後レジュウムはフランクフルト製なんだ」と氏は低く笑った。
最期となった電話で「安倍首相に立ち向かう壁は巨大で根が深いですよ……」と氏は言った。まさにその通りに事態は展開した。
私のこの拙書は再び内田憲一氏の手によって世に出た。まるで遺言を執行するかのように編集長以下のスタッフの方々は雑草の草稿を本に仕立ててくださった。
感謝の気持ちを記すに適切な措辞のほどを知らない。有難うございました。
桜鉢残してひとが逝きにけり
合掌 若狭和朋
七〇年前の八月、蒋介石は上海で決戦に出て、十二月に南京が陥落した。今年は内外ともに騒がしいと思う。
平成十九年九月末日
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)
