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第十章 国民か人民か ピープルとは

次の言葉は誰の発言でしょうか。一九一七年のロシア革命を評した発言です。
「……ここに数週間ロシアで起こっている素晴らしい、心わきたたせるような事態は、将来の世界平和に対するわれわれの希望を、さらに確かなものにしたと、すべてのアメリカ人は感じないであろうか。(中略)専制政治が長期にわたってロシア政治機構に君臨し、その実態は恐怖政治であった。しかし……いまや 、この専制政治は排除され、それに代わって寛大なロシア国民が……世界の自由、正義、平和のための戦列に加わったのである。われわれはここに誉れ高き同盟にふさわしい盟友を得たのである」(『レーニン、スターリンと西方世界』ジョージ・F・ケナン)

発言の主は当時のアメリカ大統領ウィルソンです。
共産主義者をデモクラシーの仲間と考えていたアメリカ人は、ウィルソン大統領ひとりに限りません。多くのアメリカ人は、君主政治を専制政治と考えていました。日本の皇室も専制政治の担い手と考えられていた一面があります。

これはアメリカ建国の歴史に照らしてみれば、理解もできます。フランス革命は国王夫妻をギロチンで斬首し、数百万人の血を「供犠」しましたが、革命党派ジャコバンは独立アメリカと熱く連帯しようとしたのでした。

私は皇室と書きました。普通は「天皇制度」と書く人が多いのですが、私はこの言葉は使わないようにしています。「天皇制度」という語はコミンテルン用語であり、打倒天皇制度の悪意に発する言葉ですから、私は使う気持ちになりません。一九二七(昭和二)年のコミンテルン第六回大会製造の「二十七年テーゼ」に起源を持ったものです。制度という語がどうしても必要なときは、皇室制度で充分ではないでしょうか(私は言葉狩りの徒ではありません)。

ロシア革命の後、反対派や自営農民の虐殺・「抹殺」などが、アメリカ人の耳目に達しなかったのは、歴史の悲劇というしかないものです。
しかし、四選目のルーズベルト大統領が第二次世界大戦中に至っても、ウィルソン大統領なみのソ連共産主義観しか持っていなかったという事実を、私たちはどのように理解すべきなのでしょうか。彼は政治的には、スターリンの親友だったのです。ただし、ルーズベルトとコミンテルンの関わりについて、史書は沈黙しています。
ルーズベルトはスターリンを「共産主義者と考えるのは馬鹿気ている。彼はただロシアの愛国者であるだけだ」と公言していました。
ルーズベルトは一九四五(昭和二十)年四月十二日、日本降伏の直前に死ぬのですが、この共産主義観は死ぬまで変わることはありませんでした。次の大統領トルーマンは、冷戦の激化と朝鮮戦争の勃発で脳天をしたたかになぐられた後に、初めて西側陣営の結成を固め始めたのでした。

日本を満洲・朝鮮・支那大陸・アジアから追い出したら、たちまち共産党勢力の権力奪取を許す結果となり、日本がなぜ満洲や朝鮮・支那で頑張っていたかをアメリカはようやく理解したのでした。
中華人民共和国や北朝鮮の「人民」は飢えと人間的悲惨の中でのたうちまわっています。
「人民」とは、悲惨なものです。
「人民」という日本語に一言加えないわけにはいきません。「人民」とは何なのでしょうか。ピープルを「人民」と訳すのは、底意を秘めた誤訳なのです。有名なリンカーンのゲティスバーグ演説にも、この底意を秘めたトリックが使われています。「入民の政府(政治)、人民のための政府、人民による政府」という全ての学校教科書に登場するこの演説の欺瞞に言及した政治学者は、寡聞にして私は知りません。
宇宙船「ディスカバリー」の日本語訳は「発見」でしょうか。「発見」は文法的には、言うまでもありませんが名詞です。ディスカバリーの動詞形はディスカバーです。ディスカバーアメリカは「アメリカを発見」となります。「アメリカの発見」と表現したい時には「ディスカバリーオプアメリカ」となります。この「の」がトリックの鍵なのです。オプはもちろんofなのですが、この些細な言葉の手品が、日本人を大きく誤解に誘導するのです。
「~の」は日本語ではまず所有の意味に使われます。「私の本」といったら所有を意味します。「人民の政府」といえば、所有の感覚が作動します。所有権は、処分権の感覚を帯同しますから、「人民」は政府の所有者であり政府の処分権(革命権)を持つのだ、との感覚連 鎖が機能するのです。民主主義(デモクラシー)という観念の欺眺にも、これは痛底しています。デモスというのは民衆であり、クラシーは政治制度の意味ですから、デモクラシーというのはせいぜい民衆参加の政治制度といった意味にすぎません。アリストクラシーは貴族政治制度というように、です。
デモクラシーに民主主義と主義(イズム・思想)の意味を潜ませたのは、誰なのでしょうか。くり返しますがデモクラシーとは、民衆の政治参加の制度の意味であり、それ以上でも以下でもありません。
リンカーンは「……ガバーメントオブピープル」(人々を統治する)と言った後に、この統治は「~のための、~による……」と言っているのです。南北戦争の激戦地・ゲディスバーグでの演説ですが、アメリカ大統領リンカーンは南部の分離を容認しないと演説しているのです。「分離・独立などは容認しない」、つまりは、「われわれはピープルを統治するが、この統治は、~のための、~による統治(ガバメント)」と説いているのであって、政府(政治)は人民の所有するものだ、などと演説しているのではありません。

「ガバーン・~を統治する」というのは他動詞ですから、目的語を伴います。ところがガバメントと名詞にすると次のピープルも名詞ですから、「の」を使って「~を」の意味を確定するのが日本語の表現形式なのは周知のことです。ofの目的格用法という、本来は高校英語レベルの話なのです。
「私はあなたを愛する」という「あなたへの私の愛」とは、愛の所有者は「私」であることは明確ですから、私「の」愛の処分については、私の意志の下に位置するものです。つまりは、日本の憲法学、政治学にはこの種の欺瞞が一杯にブレンドされているという現状への警告(?)を呈したかったのです。アメリカ人にも同種の危険な状況があります。
それは人民・主権・デモクラシーの理解に関する危うさが、共通しているからです。

「人民」は単なる人々ではありません。中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の「人民」とは「正義の意思の持ち主」の指導に服することによって、自由を得て解放された人々のことなのです。

不遇のユダヤ人の天オルソーは、民衆というものは所詮は多数決による「全体意思」程度の意思くらいしか形成できないのであり、社会を指導する「一般意思」を体得できるのは限られた指導者(「立法者」)のみである、と説きます。
「社会契約論」の「社会契約」とは、絶対的指導者「立法者」に絶対的に服する社会の形成を意味します。この社会の民衆は「自由」を得て、「ピープル・人民」になるのです。

オウム真理教の信者が、麻原某に帰依すれば、解脱して自由になると信じたように、彼ら信者がルソー風にいえば「人民」なのです。『社会契約論』の出版が一七六二年四月であり、『エミール』の刊行は翌月のことですから、この二冊は前編・後編なのです。
ルソーは自由のない人々を自由な「人民」と呼ぶのですが、絶対的な「立法者」に従えば自由であり、この自由な社会の状態を「自然」といいます。この自然の中で少年エミールを教育するというのが後編なのです。ルソーの著作を読み解くには、ルソー語を弁えてかかる必要があります。ルソー語が分からないと、ルソーの描く大虚構の論理世界の虜になります。
世に流通しているルソー賛美の本が多いのは、ルソー語の解読に失敗しているからです。ただ、ルソーを理解した天才の一部は大悪党になりました。マルクスもレーニンもそして毛沢東もルソーの徒です。ポルポトは、フランス帰りのかんじがらめのルソー主義者でした。レーニンの有名な「意識の持ち込み論」は、ルソーの焼き直しです。
労働者階級は自分の力では社会主義の理解に到達できないから、それを理解した革命的な知識人(インテリゲンチュア)に指導されて、プロレタリア(労働者)はプロレタリアートに「自己形成」できて革命を担うことができる、というのがレーニン主義のエッセンスです。プロレタリア(労働者)を指導する「前衛党」は、ルソー語では「立法者」であり、「自由」な「自然」の世界が、共産主義の世であるわけです。
プロレタリア(労働者)とプロレタリアートの違いは、人々と人民の違いに照応しています。リンカーンの演説を「人民の……」と訳すのは、意図的な目くらましにほかならないのです。
ルソーがいう「自然」というのも、ルソー語のそれでしかありません。決して、天然自然の意味ではありません。「立法者」に導かれて、人々は「自由」になれるのですから、この自由の世界が「自然」なのです。「自然に帰れ」というフレーズは、寡聞にして私は確認していませんが、この意味のことを反復します。

「人間解放の共産主義」の原型はルソーの「自然」であり、「プロレタリアート」とは「立法者」「前衛」に導かれる「人民」にほかならないのです。
北朝鮮の人民や、中国の人民が悲惨な運命を享受しているのは、それは彼らが「人民」だからです。共産党・労働党が「指導」という名の独裁権力を手放さないのは、こうした「深遠な」「哲学的な基礎」があるからにほかなりません。
「人民」という語ほど、呪いにみちた言葉はありません。「主権」も自由もないから、「人民」なのです。麻原尊師に指導されて自由自在を得た教徒たちは、麻原共産社会の人民と言い換えても、さほど間違ってはいないはずです。

アメリカも危ないと、私は書きましたが、デモクラシーを民主主義と思想の次元に持ち込もうとする傾向が、アメリカの政治思想の底流に流れているからです。
だから、ウィルソンもルーズベルトもスターリンや共産主義に大甘の甘で対したのでした。くり返しますがデモクラシーは民主「主義」ではありません。「民主」という語を、日本は避けていた時代がありました。「大正デモクラシー」といったのは、なぜでしょうか。それは、「主権」概念の危うさを避けていたのでした。

イギリスには、憲法典はありません。イギリスの「主権者」は誰か、などということを規定した法典も存在しません。それではイギリスの「主権者」は誰かといえば沈黙があるのみです。イギリスは民主主義の国ではありません。もちろん、イギリスはデモクラシーの国です。つまり、民衆の政治参加の国家です。つまりそういう政体なのです。
アメリカの憲法のどこを見ても、「主権」者を規定した文言はありません。それでも、アメリカが、デモクラシーの国であることには間違いはありません。
では、アメリカの主権者は誰なのかという問いに、「人民」だと答える人は誰もいないはずです。つまり、それはアメリカ国民(ナショナルピープル)と答える人はいても(人民)だと答える人はいません。

大日本帝国憲法において、日本の主権者は天皇だと答えたら、法学部の憲法の試験ではペケがつけられた(る)はずです。ほぼ明治時代から東大法学部の憲法講座では、こうした理解が普通でした。明治憲法は、国体と政体を峻別しています。
周知のように、第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」から、第三条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」に至るまで、そして第四条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総撹シ」の部分までが、日本の国体を規定したものでした。この第三条は、天皇の国政に関する無答責(政治的な責任はないということ)を宣言したものであって、天皇神権説とは関係ありません。国体と政体の峻別を確認したものでした。仮に天皇が日本の主権者なら、無答責の規定がくるはずはありません。
第四条の後半「コノ憲法ノ条規二依リ之ヲ行フ」以下は、立憲君主制の政体を規定したものです。
統帥権干犯問題として有名になる第十一条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」や第十二条「天皇ハ陸海軍ノ編成及常備兵額ヲ定ム」は、総理大臣の関与を排除する規定ではありませんでした。でなければ、第十条の「……官吏ヲ任免ス」や第十五条「……栄典ヲ授与ス」なども独立した任免権や授与権として、総理大臣の関与を干犯として排除したはずです。そのような騒ぎは起りませんでした。
天皇機関説や統帥権干犯問題は、ともに天皇をして日本の「主権者」と擬したところが共通しています。明治憲法は国体と政体を分けて規定し、国体論として天皇を「国ノ元首」として規定し、「神聖ニシテ侵スヘカラス」と無答責を宣言しました。これは、ヨーロッバの立憲君王制国家に共通して見られるものでした。イギリスは憲法典をもちませんが、「君臨すれども統治せず」と、やはり無答責を規定しているのです。

美濃部達吉博士は国家法人説に依拠して主権は国家にあると、国家主権者論を祖述してしまったのです。明治憲法は、国家主権の所在などは規定してはいないのです。国体論として「元首」「統治権」の「総撹」をいいながら 、政体論として第五十五条で「国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責二任ス」として第二項で「凡テ法律勅令其ノ他国務二関スル詔勅ハ国務大臣ノ副書ヲ要ス」と念を押すかのように規定しています。美濃部達吉博士の天皇機関説の非を嗚らす学説は、戦後日本では聞きませんが、私は統帥権干犯説と同種の過ちを犯していたと考えます。東大法学部の「責任」は軽くはありません。

統帥権干犯問題や天皇機関説問題のようなおかしな理屈に、日本はなぜ足元をすくわれてしまったのでしょうか。東大法学部が、天皇機関説に覆われたかのような観を呈したのはなぜでしょうか。第八章で詳述したようにイエリネックの学説をユダヤ法学の本質とともに誤解したからです。だからフランクフルト学派に今日でもハイジャックされているのです。天皇機関説に対抗したかのように言われる上杉慎吉博士の神権説は、私は上杉慎吉博士の擬態に思えてなりません。
それは、神権説と明治憲法解釈の無軌道ぶりがとてもまともな学説とは考え難いことと、この学説の蔭で演じられた国家社会主義者たちの活動が奇妙な調和関係を保っていたことへの疑惑に根ざしているからです。

結論的にいいます。
ルーズベルト政権内部のニューディーラーたちの中に、コミンテルンの要員が潜んでいたように、日本帝国でもエリートと目された人々の間にコミンテルンの影が見え隠れしています。
私は「陰謀史観」を述べようとしているのではありません。
支那事変の拡大には、直接に尾崎秀実たちのリーダーシップが日本側にはあり、蒔介石政権の内外にはコミンテルンの功績のあとが歴然としています。コミンテルンが、万能だったわけではありません。だが、二十世紀において 、人類は共産主義・マルクス主義の縛りから自由ではあり得なかった事実を充分に省察すべきなのだと、私は考えます。
二十世紀を支配した大思想(グラントセオリー)が、マルクス主義・共産主義だったのです。今日でもそれはフランクフルトシューレ(学派)の形で生きています。
日中対立と日米の死闘は、コミンテルンの媒介なしにはあり得なかった歴史を、私たちは考察せざるを得ないのです。私のような田舎教師が、そして最も得意とする分野が高校野球の指導にある者が、まさに場違いにも、こうした歴史認識の分野でものを言う風景はどこかで日本がヘンだからなのです。
天皇機関説はやはりヘンなのです。日本もアメリカもそして支那もともに共同責任を負うのが、さきの大戦だったのです。
中国共産党が、日本に「反省」を迫るという絵画は、遠くはない将来に珍画として高く評価されることは間違いありません。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)

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