私は古く中国の僧院で修業された頭山要(とうやまかなめ)翁に師事したり、中国では清王朝の方術師であった李拍均(はくきん)翁などに直接教えをいただくという恵まれた体験をもっています。
そして、戦中戦後の混乱期を通じて、運命は確かに存在し、これを予測することが可能であることを確かめることができました。
しかし、言葉で表現するだけでは胡魔化していると思われてもしかたがありません。
特に、科学的な実証を重んじるという現代人を納得させていくには、どうしても人生をグラフ化しなくてはならないと考えるようになったのです。
それからの十数年というものは、寝てもさめてもこのグラフの波形と波動の研究に没頭しました。一人一人全く異なる人生をもっていますから、これをグラフ化することは大変なことであることが判ってきました。
もし、このグラフ化に失敗したならば、せっかく頭山要頷や李拍均翁に指導された易占学であっても、完全に棄て去る決心でいました。
それは科学的に表現できない研究の将来性をむなしく感じたからです。
ついに昭和33年に至り独自の計算公式を発見し、ここで、初めて人生のグラフ化に成功したの
です。
それは一字画の1本の波動を示すのに、16本の線が網の目のように組合わされているという形のものです。
一時期に、ある線は大きなうねりで下から上に盛り上り、またある線は上から下に落下してくるというように、16本の線はそれぞれ強くまた弱く上下に衝突したり並行したりして規則正しく大きなうねりと小さなうねりの刻みを描いて進んでいくのです。
それは、一字画を表現する1本の線の原型であっても、まさに生物の活動に似た流動体なのです。こうしてできた16本の線を力のバランスに応じて乗除し計算して、一画ごとに異なる1本の線ができ上りました。
それから、現在まで一万例を越える実証例が資料としてコンビュークーに導入され試みられてきました。この人生グラフに描かれた過去、現在、未来への的中率は、いかなる易占学も比較にならないばかりか、コンピューター使用の統計学にみる予測技術の限界をはるかに超越する前人未踏の予測学であると自負できます。
グラフは実証性を確認する最良の手段です。この予測研究は、グラフ化の完成によって実証統計を集め、次々に新しい発見と充実をみることができました。
このように厳しい姿勢で個々の運命と対比させ統計をとり、そして完成させた研究は、過去の歴史にも恐らくないでしょう。
姓名のもつ連が現われてくるのは満15歳からです。そこで巻末には、満15歳から満55歳までのグラフをのせました。
昭和38年の春、東洋易学の権成として世界的に著名な元北京大学教授の李君平氏と話し合いました。
その際氏は、日本の占いプームについて「日本は経済大国といいながら不思議な国だ。中国でもすでに相手にされなくなった筮竹(ぜいちく)や霊感予言などが大繁昌している。これでは文化国家とは言えない」と感想を述べていました。
このマシレのグラフについては、「私の過去を現わしたグラフは、95%の確率があったと思う」と科学的な手法と共に高く評価してくださいました。
現代は実証を尊重した科学の時代です。このマシレは、誰がどこで誰の名まえを分析しても、その結果は一つであり、しかもただちにグラフで実証するという科学的な手法を完成したところに、予測学として飛躍的な価値があります。
したがって、マシレは従来のように姓名学とは呼ばずに姓名科学と呼んでください。
この、マシレから引き出された運命観は、グラフで示されるように、人生はそれぞれ各人が決められたレールの上を走る列車に似ています。
走る路線は、レールのように決められていて、人間の力で変更することはできません。このレールの上を、努力というエネルギーで走ります。努力の足りない人は、それだけ成果をあげることはできません。しかし、ただ速度が速いだけでは駄目です。これを智恵で調整しながら上手に操縦しなければなりません。この智恵は人によってそれぞれ異なります。いわゆる直感的な先見性です。これは生まれながらもっているもので、古今の成功者や英雄がもつ特異な才能です。しかし、このもって生まれた先見性も、一生を通じて常に発揮できるというものではなく、一時期に限られます。
そのよい例が、英雄の末路は哀れといわれるような歴史的現象を招いているのを見ても判ります。
このように、もって生まれた先見性をカバーするのがマシレの研究であり、趣味や娯楽的なものではない、実践的な生活の知恵なのです。
『姓名(なまえ)』牧正人史著 青春出版社 昭和47年刊による
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