紀元前566年頃、ギリシアのサモス島に生まれたピュタゴラスは、18歳でエジプトに渡り、20数年滞在し、神官たちから算術や幾何学を学びます。モーセ(紀元前14世紀頃のヘブライの族長)に由来するユダヤ神秘主義にもとづくカバラの数秘学をはじめ、さまざまな古代の秘法を学んだのもこの頃でしょう。このことから彼は、モーセの教えを受けつぐギリシア人の弟子というふうにとらえられています。でも、ピュタゴラスが師(マスター)とあおいだのは、モーセだけではありません。
バビロニアではさらに10数年滞在して天文学を学び、スパルタでは法神を会得します。そして、さらに東洋諸国をめざすのです。
インド、チベット、中国へと、彼は当時知られていた世界のほとんどを旅します。そしてさまざまな神秘スクールに入門し、多くのマスターの弟子となったのです。
数々の瞑想を体験し、ついに光明を得た彼はギリシアに戻りますが、結局イタリアのクロトンに移り住みます。やがて多くの探求者たちが集まり、ピュタゴラスの神秘スクールが開かれるはこびとなりました。
楽器を奏で、歌い、踊ること。そして静かな沈黙の時間が瞑想の基本となっていました。ピュタゴラスは、彼の得た知識を詳細に理論立てたりはしませんでした。また、その教えは口頭によって伝えられたので、彼が自ら書き残したものは、ある短い詩篇を除いて他には何ひとつありません。それはおそらく、弟子たちに聴く姿勢というものを身につけさせるためであり、理論(頭)だけが先走りすることのないようにという配慮からだったと思われます。
しかし彼の死後、神秘スクールは消滅し弟子たちも四散してしまいます。その教えは、一方ではプラトンやソクラテスなどの著名な哲学者たちに受けつがれ、他方では、西洋神秘学に多大な彩響を及ぼしていくことになるのです。
『100年数秘の本』DASO著 (ヴオーグ社刊)より