新井白石は九歳の時から、日課を立てて少しの暇でもむだにせず、一生懸命に学業に励みました。後、木下順庵という名高い学者の弟子となってからも、貧苦をこらえて、ますます勉強したので、日に日に学問が深くなりました。

ある時、順庵は白石を加賀侯に推薦しようと思って、そのことを白石に告げました。その頃、やはり順庵の弟子で岡島石梁という人がありましたが、そのことを聞いて、白石に、「加賀は私の郷里で、家には年寄った母がたった 一人で、私の帰るのを待っている。もし先生の御推薦で私が加賀侯に仕えることが出来たら、母もどんなに喜ぶだろう。」と言いました。白石はそれを聞くとすぐに順庵のところへ行き、そのわけを話して、「私の仕えますのは、どこでもよろしゅうございます。どうか私の代わりに、岡島を加賀へ御推薦下さい。」と願いました。順庵は白石が友情に厚いのに感心して、その通りにしました。二年ほど経って、白石は順庵の推薦で、甲斐侯に仕えることになりました。侯が後に将軍となってから、重く用いられました。

(五年生)

 

※木下順庵…元和七(一六二一) 年~元禄一一(一六九九)年。江戸時代前期の儒学者

※加賀候…前田綱紀のこと。寛永二〇(一六四三)年~享保九(一七二四)年。教養人として知られる名君

※甲斐侯…後の第六代将軍・徳川家宜

『国民の修身』監修 渡辺昇一