新井白石は九歳の時から、日課を立てて、少しの暇でもむだにせず、一生けんめいに學業に動みました。後、木下順庵といふ名高い學者の弟子となつてからも、貧苦をこらへて益々勉強したので、日に/\學問が深くなりました。 或時、順庵は白石を加賀侯に推薦しようと思ってそのことを白石に告げました。其の頃、やはり順庵の弟子で、岡島石梁といふ人がありましたが、その事を聞いて、白石に、「加賀は私の郷里で、家には年よった母がたった一人で、私の歸るのを待ってゐる。もし先生の御推薦で、私が加賀侯に仕へることが出來たら、母もどんなに喜ぶだらう。」と言ひました。白石はそれを聞くとすぐに、順庵のところへ行き、其のわけを話して、「私の仕へますのは、どこでもよろしうございます。どうか私の代りに、岡島を加賀へ御推薦下さい。」と願ひました。順庵は白石が友情に厚いのに感心して、その通りにしました。二年程たって、白石は順庵の推薦で甲斐候に仕へることになりました。侯が後に将軍となつてから、重く用ひられました。 『国民の修身』監修 渡辺昇一
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