久留米絣を獲明したのは井上でんといふ人です。でんは機織が好きで、子供のうちに早くも一通り織れるやうになりました。しかし生まれつき勝氣でしたから、どうかして世間にない目新しい物を織出さうと常に工夫をこらしてゐました。

或日でんは、着古した黒い地の仕事着があらこら白くすれて模様かと思はれるやうになつてゐるのに氣がつきました。これは面白いと思って、ほぐして絲にしてみると、黒い絲が所々白くなつてゐるので、黒と

白の斑の絲で織れば、きっと面白い模様の織物が出来るに違ないと考へつきました。そこでためしに白絲を所々くくり、藍汁につけて斑に染め上げ、その絲を機にかけて、どんな織物が出来るかと胸を躍らせながら織つてみると、かすり模様があらはれて面白い織物が出来ました。それからいろ/\と改艮を加へて、後には非常に手の込んだ模様でも織れるやうになりました。

久留米絣は、今日では誰でも知らない者がない位に廣く用ひられてゐます。

『国民の修身』監修 渡辺昇一