勝安芳は若い時、西洋の良い兵書を讀みたいと思って、しきりにさがしてゐましたが、其の頃舶來の書物は少くて、なか/\手に入りませんでした。或日、本屋でふとオランダから新着の兵書を見つけました。見ればなか/\良い本で、ほしくてたまりません。價をたづねると五十兩とのことです。安芳は其の頃大そう貧乏で、とてもそんな大金は拂えません。家に歸っていろ/\考へた末、あちこちと親類などに相談して、十日あまりもかかつて、やっと其の金をこしらへました。すぐにさきの本屋にかけつけますと、本はもう賣れてしまつてゐたので、がつかりしました。しかし、どうしてもそのまま思ひ切ることが出來ません。
そこで買った人の名を聞いて、やっと其の家をたづね出し、わけをくはしく話して、「ぜひあの本をおゆづり下さい」と頼んだが、持主はなか/\聞入れません。「それでは、しばらくお貸し下さい。」と言ふと「それも出来ません」とことわられました。安芳はしばらく考へて、「あなたが夜おやすみになつてから後でなりと、どうかお貸し下さいませんか」と折入って頼むと「それ程に御熱心ならば、見せて上げませう。しかし外へ持出されては困ります」と言ふので、安芳は次の夜から持主の宅で寫させてもらふことにしました。それから毎夜一里半もあるところを通つて、雨が降つても風が吹いても、約束の時刻におくれたことがなく、半年もかかつて、とう/\八冊の本を寫し終りました。其の時、意味の分らないところを持主に問ひますと持主は、「お恥づかしいことには、私はまだ讀終らないので、お答へが出来ません。
それにあなたはこれを寫して、其の上そんなにくはしくおしらべになったのは感心です。私のやうな者が此の本を持つてゐても益のないことですから、あなたに差上げます。」と言ひました。安芳は、「私は寫させてもらったのでたくさんです。二通りは入りません。」とことわったが、無理にすめられるので、とう/\もらひました。安芳はかやうに學問に勵んだので、後にはりつぱな人になりました。
『国民の修身』監修 渡辺昇一

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