登は父がなくなつてから、そのあとをついで、だんだん重い役に取立てられました。そのころから日々のしごとをさだめて、朝ひるばんともそれぞれじこくにわりあて、それをかでうがきにして、そのとほりおこなひました。
こんなに登は規律ただしくしたので、ゑが大そうじゃうずになったばかりでなく、がくもんもすすんでえらい人になり、せけんの人々からうやまはれるやうになりました。

『国民の修身』監修 渡辺昇一