渡辺登は十四歳のころ、家が貧しい上に父が病気になったので、どうかしてうちの暮らしを助けて、父母の心を休めたいと考えました。登は初め、学者になろうと思って学問を勉強していましたが、ある時、 から「絵を描くことを稽古したら、暮らしの助けになるだろう。」とすすめられ、すぐある先生について絵を習いました。
父は二十年ばかりも病気をしていましたが、登はその長いあいだ看病をして、少しも怠りませんでした。父が亡くなった時、大そう悲しんで、泣きながら筆をとって、父の顔かたちを写しました。
葬式が済んだのちも、朝晩着物を改め、謹んで父の絵姿に礼拝をしました。
孝は親を安んずるより大いなるは無し。
※渡辺登…寛政五(一七九三)年~天保一二(一八四一)年。のちの渡辺華山。江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士で、のち家老となった。
武士の家に生まれたが、幼少期は極貧生活を送った。それでもくじけず勉学に励む姿が修身の教科書に掲載され、忠孝道徳の範とされた。
『国民の修身』監修 渡辺昇一
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