秘密の世界
さてこれからお話し申し上げる所は「心経」の最後の一節でありまして、昔から秘蔵真言分と称せられて、一般に翻訳されずに、そのままに読誦せられつつ、非常に尊重され、重要視されているのであります。どういう理由で翻訳されなかったかというに、いったい翻訳というものは、詩人のいうごとく、原語に対する一種の叛逆です。よくいったところで、ただ錦の裏を見るに過ぎないのです。経緯(たてよこ)の絲はあっても、色彩、意匠の精巧(たくみ)は見られないのです。たとえば日本独特の詩である俳句にしてもそうです。これを外国語に翻訳するとなると、なかなか俳句のもつ持ち味を、そのまま外国語に訳すことはできないのです。たとえばかの「古池や」の句にしても、どう訳してよいか、ちょっと困るわけです。「一匹の蛙が古池に飛び込んだ」と訳しただけでは、俳句のもつ枯淡なざぴ、風雅のこころ、もののあわれ、といったような、東洋的な「深さ」は、どうしても西洋人にはシッカリ理解されないのです。「花のかげあかの他入はなかりけり」(一茶)の句など、かほんとうに訳す言葉がないように思われます。ひところ、文壇の一部では俳句に対する、翻訳是非の議論が戦わされましたが、全く無理もないことで、外国語に訳することは必要だとしても、どう訳すべきかが問題なのです。
高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)
0