私自身、愛するものを喪うという経験を若いころから経験しているため、様々な宗教体験をしてきました。その中で、私自身を救ってくれた一冊の本がございます。それが、高神覚昇先生の「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)です。ここでは、そこから仏教の神髄ともいえる部分を勉強していきたいと思っています。
高神覚昇師の略歴
1894-1948 大正-昭和時代の僧、仏教学者。
明治27年10月28日生まれ。真言宗。大谷大で西田幾多郎に哲学・宗教学をまなぶ。大正12年母校智山勧学院の教授となり、大正大との合併で昭和19年同大教授。昭和9年ラジオ講座で般若心経を講義。また友松円諦(ともまつえんたい)と真理運動をおこすなど仏教の大衆化をはかった。昭和23年2月26日死去。55歳。愛知県出身。旧姓は斎藤。著作に「般若心経講義」「密教概論」など。


いったい仏教の根本思想は何であるかということを、最も簡明に説くことは、なかなかむずかしいことではあるが、これを一言にしていえば、「空」の一字に帰するといっていいと思う。だが、その空は、仏教における一種の謎で、いわば公開せる秘密であるということができる。
何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、いいあらわしているのが、仏教というおしえである。
ところで、その空を「心経」はどう説明しているかというに、「色即是空」と、「空即是色」の二つの方面から、これを説いているのである。
すなわち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現わし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいいあらわしているのである。したがって、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との二つのものが、いわゆる弁証法的に、統一、総合されているのであって、空を理解するについて、まずわれわれのはっきり知っておかねばならぬことである。
次に空をほんとうに認識するについて、もう一つたいせつなことがある。それは「因縁」ということである。「心経」には因縁について一言も説いてはいないが、因縁を十分に理解しないと、どうしても空はわからないのであって、端的にいえば、空と因縁とは、表裏一体の関係にあるのである。申すまでもなく因縁とは、「因縁生起」ということで、世間のこといっさいみなことごとく因縁の和合によって生じ起るということである。もとよりこのことは、説明を要しない自明の理であるにもかかわらず、われわれはこの自明の理にたいして、平素あまりにも無関心でいるのである。すなわち「因」より直接に果が生ずるがごとく考えて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷い」の根源となっているのである。
すなわち凡夫の迷いとは、つまり因縁の理を如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。
おもうに今日、一部のめざめたる人を除き、国民大衆のほとんどすべては、いまだに虚脱と混迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんとうに再出発をしていない。色即是空と見直して、空即是色と出直していない。所詮、新しい日本の建設にあたって、最もたいせつなことは、「空」観の認識と、その実践だと私は思う。このたぴ拙著「般若心経講義」を世に贈るゆえんも、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、なんらか貢献するところあらば、著者としてはこの上もないよろこぴである。
昭和22年春 東京鷺宮 無窓塾 高神覚昇

高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)