通変それぞれに固有の事象があり、通変同士で生剋・幇の作用を発生することにより、それぞれの通変の固有の作用を根幹としつつ、相互作用による事象を発生し、それは社会生活を営む中で起きるすべての出来事を網羅することになる。
しかし、通変の事象が現実の具体的な事象へ関わる様相は、それぞれの人の置かれた状況や社会環境により千変万化するため、パターン化することは方法論的に不可能である。したがって、通変の事象を今の時代に生き、生活している人に適用するには、その人が日本で生活しているのなら、今の日本の現状、その人が暮らす地域、年齢的なことなどを考慮して、どのような具体的な事象が発生することになるかを、それぞれの状況にあった形で推察しなければならないことになるのである。
五行の事象とともに、通変の事象を理解することは、四柱推命において重要な項目となり、通変の事象を実際の事象へ適用する仕方に、通変の事象に対する理解度がはっきりと現われることになり、命家としての力量が問われる部分となるのである。
さて通変の作用自体には、良い面と悪い面をともに内包しており、そのいずれの作用が具体的事象として現われるかは、大運の影響を考慮した中での、日干の強弱に左右されることになる。
日干が強の場合、日干に食傷、財、官殺が関わることにより日干が弱められるなら、原則的にはすべての通変の良好な事象を期待できることになり、逆に日干が弱の場合は、印、比劫が日干に関わることにより日干が強められるなら、同様にすべての通変の良好な事象を期待することができることになる。この二つが、通変の作用を見る際の最も基本的な視点となる。日干が強の場合、比劫と印は、望ましくない事象に結びつく可能性をはらんでいるのであるが、大運でその強さが緩和されるなら、印も比劫も良好な作用を発揮し得るのである。
しかしながら、日干が強であれば、運歳に官殺が巡るのは原則的には望ましいことなのであるが、四柱八字、大運、流年の、干や蔵干に印がある場合、官殺の日干を剋す作用が阻害され、印を生じることになることがある。すると、官殺は印を生じ、その印が強い日干をさらに強めるという結果を招き、官殺は望ましくない作用を発生することになってしまうのである。
あるいはまた、日干が弱の場合、官殺に日千が剋されるのは望ましいことではないが、印が日干に隣接するなら、官殺の日干を剋す作用が緩和され、官殺が印を生じ、結果的に日干を強め、官殺が良好な作用を発生することになるのである。
つまり、大運と流年の作用を考慮すると、原則とし て述べた視点は、通変が日干に直接関わり、その定義通りの作用を日干におよぼすことができる場合に限定されることになり、多くの場合、原則的な視点では事象のよしあしを判断できないことになるのである。ちなみに、日干が強い場合に、官殺が日干を剋して弱めることにより発生する良好な作用は、日干が弱い場合に、官殺が印を通して結果的に日干を強めることにより発生する良好な作用と同質のものになる。これは他の通変においても同様である。
また、日干の強さと通変の強さの相対的な関係から、事象の現われ方にさまざまな段階が発生することを次に説明することにする。例として、四柱八字中で日干と財が隣接している場合の見方を採り上げることにする。また、日干と財の関わりは、比劫と財の事象の相互作用として考えることになる。
まず、日干が強く、財が弱いのに、大運・流年に比劫が巡ると、日干が強くなり過ぎ、財が剋され、不足することが望ましくない事象として現われることになる。
日干が強く、財が弱過ぎる場合、比劫の不良な作用が現われ、俺が俺がと自己主張ばかり強く、周りへの配慮がなかったり、場所柄をわきまえなかったり、人を人と思わず、他を一切受け入れないようなことになる。つまり、自分を中心に世の中が回っているような行動をとりがちになる。さらに極端な場合には、他人の存在そのものをも否定することとなり、欲しいものは手段を選ばす手に入れようとし、目的を達成するためには、金品そして命さえ奪うような犯罪者的な行為さえ辞さないことにもなってしまうこともあるのである。
また、財が無力過ぎるため、人とのコミュニケーションが取れず、孤立し、厭世的、あるいは逃避的になるという事象として現われることもある。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より
https://meiwajuku.com/nsityu4/
http://www.shihei.com/shihei/calc/
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