つまり、同じ親から生まれても、子どもによって、大変健康であったり、健康面にいろいろと問題があったりと、さまざまな違いが発生することがあるが、年の天干と蔵干は、月の天干と蔵干との関わりが、その相違を示しているのである。後述の日干の強弱の視点から見て、年に日干にとって望ましい干があり、月の干や蔵千から剋されていないなら、年の定位の示す事象は良好であるということができるのである。ただ、遺伝的な特性といっても明確な事象となることはまれで、現実的には、例えば、年干に財があり、月干を通して日干にとって好ましい作用が及んでいるなら、生家は豊かであった、と見ることになるし、こうした見方は実証的にも妥当性があるのである。
さて、日の蔵干が配偶者の定位であるとされていることも、正しい視点であると言える。日の蔵干から、その人が異性に望む容貌的特徴、つまり好みのタイプ、そして既婚の場合、配偶者との関わりとか影響を知ることができる。例えば、日の蔵干に庚金あるいは辛金があれば、配偶者には、庚辛金の示す容姿的特徴が良好な形で出ていることを望むことになる。
時の干支が子女の定位とされているのは、老後は子の孝養を期待するものであるという、考えが根底にあるのではないかと想像される。日本でも数十年前くらいまでは、老後に子の孝養を期待する親も多かった。 現在でも子に年老いた親の面倒を見る責任があることに変わりはないが、少子時代となり、また日本の住宅事情からし て、老後は子に頼ることなく、自分で何とかしようと考えている人が多くなっているようである。時干支の定位としての意味が、こうした時代とともに変わっていく価値観に関わっていては、四柱推命を普遍的な視点から考えることが不能となってしまう。つまり、時干支を子女の定位とすることは、実証的にもその正当性を認めることはできないのである。
なお、以上の定位の事象を見る際も、旺の逆転を処理した後の四柱八字で見なければ、正しい判断はできないことになる。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より